ボーダー

ボーダー  ( the Border )

境界、境界地方。

団塊という言葉が作られ、総人口の変動を意識せざるを得なくなった。
国や自治体が、先だって考えられ計画が立案されるべきであった。
それが数字上、国の存在が危ぶまれてくると、直前になって庶民に打ち明け情報を提供するようになった。
国の人口は、公人にとってまさに食扶持であったはず。将来の生き死に直結したテーマであったことを、2011年自覚し始める。

葬式とお墓。宗教がちらほらと目の前に浮かんでくる。
何処でご厄介になりますか、どこに墓を建てますか。
資産を持つことではなく、墓をどう守るかということにつきる。

コミュニティの世界で、宗教の顔が見えない。2011年後においても、さっそうと宗教の姿が登場しない。原子力ムラに共通する、経済・お金の世界が見え隠れする。今においても、無信教、無宗教国家であるかのような雰囲気を漂わせ、時代の中で存在しないかのような、態度をし続けている。
原発で、反TPPで、反憲法改正に声を出そうとはしていない。

野党が声を上げて、自民党政権に立ち向かうために闘う士気を削がれている、そのもとは
経済であり、グローバルの世界から孤立しない方法。
経済、お金に執着するあまり、神と仏は民を手放してしまったのか。

少子化対策は政治公約にあげられる単純なものでなく、国として存続できるかできないか分かれ目、税の根源に関わるもの、腹を据えて対処すべきであった。
その不作為は、数年先の国の存続へはねかえってくる。

自分史を書き綴ろうとこのクラスに集まってみた。年代が私より少し上、戦時中の話が出てくる、今まで、身近な話題として聞いたことない話。原発投下から数年、震災時の記録として市民の手で書き加えられています。体験者の生の声が、このクラスでナレーター付の実話として聞ける。

PCをクラスの人たちが利用しているのか、想像してみる。講習を受けている中、度々ケイタイのコールが鳴り響き、ケイタイの返事をしながら教室を出ていく御仁。人生は長いようで短い、集いの場で宣告される、「マナーモードで・もしくはスィッチをオフにして」という文言を聞いたことがないらしい。

これを囁いている自分は、ケイタイを使ったことがないが、PCは一日一回必ず開けてチェックをする。社会の流れ、ニュースの素を探し出す手立てとなるもの、すべてはPCに頼るしかない。クラスの人たちの共通の思いとはなんだろう。クラス仲間のそれぞれがお互いの年齢を、意識しないで時間を過ごしていることだろうか。

書く材料が出てこない、書こうとすることが頭に浮かばない。
潮が引くように、一通りの講義が終わると一目散に家路へと急ぐのだろうか。
お茶を飲みながら話す、憩いのひとときもままならない。忙しくてやることがぎっしり、時間に追いまくられているのだろうか。

本を読むとか、文章を書くには、家に閉じこもるような、内に入り込みやすい性質が合っている。外に出て素直に感情を表す、ひとりで見ず知らずのところに入ってモノがいえる。そのような行動派に向いていない人物は、本を読んだり文章を残したりするのではないか。

話を書き始め、興味をそそるように最後まで書く。
本や新聞を読むより、ケイタイで感情を発露する方がより気持ちがいい。考える、考えさせることより、美しい景色・楽しい出来事・愛らしい笑顔をみて楽しみたい?

消費税を上げないといった、民主党のうそ。TPPに参加しないと誓った、自民党のうそ。公約をいとも簡単にひるがえす、政治を繰り返し目の前にした。その自民党が政権を取った途端、憲法が改悪され、頭に残るはずの記憶や記録は庶民の頭から消えてしまうのではないか。

考えることの大切さが、記憶と共に消えうせてしまう、政治にとっては、望まれる庶民の性質か。番組であればスポンサー、諮問委員会であれば研究費。組織であれば交付金
その金の流れが解れば、この社会の動きは見て取れる。このお金の流れが公表されなくなったら、何もかも終わりか。