自分史を書く

自分史を書く
〜これまでの自分を振り返って
エンディングノートを未記入、記憶を呼び戻す策、何かヒントをと思って参加した。
部屋に入るとホワイトボードの一面に、今日のあらましが書かれている。机が島になって班構成され、ほぼ席が定まっている。

ドアを開けた途端、一年生に戻った錯覚に襲われる。何も拒めない、自分で選べない、その雰囲気があふれている。講師の服装、作務衣から連想しているのかもしれない。お坊さんだろうか。

恥をかく、それを前提にして書くこと。
着飾ってみせる、いい恰好をしないということだろうか。自分の立ち位置を考えないで、遠くから眺めるかのように原稿を字で埋めてみる。自分が何者であるか、人からみえた視線を柱に据えてみるということだろうか。

記憶をたどる出発点は、講師の提案による題から思い浮かべる。
そのテーマから自分の原点を考えてみる、過去が大事か、現在が貴重か、未来を大切に思うことか。選択することではなく、振り返る時間を少しでも長く保つことの大切さ。

自分史のクラスは今年で、6年目を迎えたそうです。平均年齢が私より、上なのでしょうか、想像ができません。目の前にある他人が書かれた文集、他人の人生なんて、興味が湧くものでしょうか。

文集といえば、東北の被災者が書き綴っている本に興味があります。新聞やテレビなどに取り上げられない、訴えたい内容がこめられているのではないかと想像しています。自分たちのコミュニティの世界で、ネットや文集を中継して交流すれば、励みになるのではと期待はするのですが。

本来ならば、住んでいる地域で新聞や会話などで深めればいいものを、意見が思いが違うことでバラバラになり、周りの人と溶け込めない環境に陥ってしまう。
心の底から言葉を発したくて、文集を広めているのではないか。

卒業高校を訪ねてみようか、友達だった家の周りを歩いてみようか。親せきや身内さえ近づこうとしない私。
持ち時間をたくさん抱えているようで、結局動く範囲は限られている。