炊き出し 今日はないで

「炊き出し!今日はないで」
左足の膝頭に穴が開いたズボン、右手につえを持った格好で庭から入る。
韓国系キリスト教会。活動は何をしているのか、イベントにどんなものかあるのか。
最初にあった男性に言われた、「炊き出しは、今日はないで」。
中を覗いてみる、ちょうど私のような男の人がたむろしている。

 一週間前、この教会の場所を、捜し歩いていた。道路側にある正面のドアには目もくれず、車が二台寄せてある横の入り口を眺める。堅牢な教会の玄関に、自転車が二台並んでいる。

11時の開場予定。家からは2時間ほどかかるだろう。予行にあわせて、近くの学習センターを訪ねてみる。ビリヤードに参加できないか、遊びを交えてくれないか、彼らの前で見せてもらう。歳を聞いていないが、少し上か、人生の持ち時間に有り余った人たちが大勢参加している。ビリヤードの台の数が、まだ足りないくらいだ。

見たこともないフィールドを旅するかのように、式場を見渡してみる。ずっと前から住んでいたかのように、彼らの動きをみつめる。まるで<絵の中に>入り込むような時間を過ごす。地元に溶け込んで人の生活を見たい、知りたい、知らない生活を。

娘より若い友が結婚する、と招待状を送ってきた。受けたの私だけでなく、ネパールへ日本語を教えにいくという体験をしたグループ。女性四人に男性二人のチーム、旅行以来十二年間交流を続けている仲間。当時彼女は高校生だったのだろうか。

教会の中ではスタッフが、忙しく結婚式の準備をしている。信号で会った青年二人が、会場に戻ってきた。ドアの前で座っている私を見習ってか、教会の座席に連なって座る。アンニョンハセヨ、準備をしている女性と言葉を交わした。普段着の人がもう式を待っている、私より年上に見える。

中央の椅子で楽器をもった男性が、背広を着こんで汗を出していた。
結婚式の式順を読むだけで息がつまりそう、流れ作業のように友達や親せきの好意を受け取るのが幸せを早く呼び込むことになる。

教会の神父であり、主礼の牧師さんは、彼女をわが娘のように讃える。また彼女は牧師を父親のように慕っていたのだろう。複雑な心境を、丁寧に表現をしていた。

式に参加した感想は、キリスト教のやりかたは能動的なこと。マイクから声が出されると必ず聞く側がこたえ、掛け合いがある。そして、音楽・讃美歌・歌があること。
表現することと宗教が伝えようとしているモノと、うまく調和しているように感じられる。
いつも黙って聞いている日本的な宗教では、見られない風景ではないか。

そしてほとんどが日本人でありながら、主催が韓国系である。さらに韓国語が語られることが少ない、日本語仕様の教会であることを知った。なんとなく違和感を覚えたことを友だちに言ったが、返事はなかった。