日本人の死生観と無常観
演題:日本人の死生観と無常観
講師:島薗 進 氏
略歴;1948年生まれ。東京大学文学部宗教学科卒業。東京外国語大学日本語学科助手、
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部宗教学科教授などを経て、現在、上智大学教授。
上智大学グリーフケア研究所所長。主な研究領域は宗教学理論、比較宗教運動論、近代日本
宗教史。日本を代表する宗教学者であり、死生学の第一人者である。
著書に「現代宗教とスピリチュアリティ」他多数。
講演概要:仏教は無常を知り仏道に心を向けることを教えてきた。それはまた美意識にも浸透し、
桜はいのちのはかなさを思わせるが故にこそ歌い続けられてきた。こうした日本人の死生観が
どのように変化して現在に至っているのか、ともに考えていきたい。
一茶と悲しみを讃えたしたたかさ
◇小林一茶(1763〜1827)
悲しみにたえて生きる
うき世の生を歌った俳人。
☆貧しさ、たくましさ、素朴な生の美しさ
うつくしやせうじの穴の天川
連れて来て飯を食する女猫哉
春雨や喰れ残りの鴨が鳴く
鳩の恋鳥の恋や春の雨
☆桜=死のリアリティと快楽にふける人間の対照
活て居る人をかぞへて花見哉
咲ちるやけふも昔にならんずる
死支度致せ致せと桜哉
いざさらば死ゲイコせん花の陰
世の中は地獄の上の花見哉
◇近代人としての小林一茶
春雨や喰はれ残りの鴨が鳴
初雪や今に煮らるヽ豚遊ぶ
以上、いただきました資料から
私に理解力がない。
古語を読む経験が少ない、読んだことがない。
だからでしょうか、深く味わうことができません。
それにしても、引き継ぎを思い浮かべます。
除染をするため表土を剥ぎ、どこかに埋め戻した。
その埋めた場所を書き記したとしても、後世に
それが伝わるとは、とても思えません。
言語、それ自体が変わっていることでしょう。