「左翼のクソ」と「シャラップ」

「左翼のクソ」と「シャラップ」



SNSに twitter

情報ソースとして流れていたものが、バッタリと途絶える。
癒しの存在としてのSNSが、葬り去られるかもしれない。


アナログとデジタル、現代人とひとむかしの人。
若者と高齢者を分断していたもの。
それを隔てていたのが、ケイタイであったりする。


首相という位でもって、自らが発信している情報源。
これこそ、国民の知性そのものを表現しているだろう。
Facebook、この扱い方こそ日本人の苦手な面。
ホームページとしての、企業を宣伝する発信源。
企業だから、個人として活用するに抵抗があるもの。


それが、公人である首相がFacebook で発信する。
ぶらさがり会見、新聞メディアなど必要としないであろう。

国会や議事で語られていることが、自分の頭でもって練られた内容か
どうか、素直に現われてくるのがネットである。


実力とは、自分の立ち位置を後ずさりしても、元のスタートに戻れる。
多くの経験を繰り返して、獲得して備えた自信。
真実を追い求めて得られる、経験。


匿名性をもって恨みつらみを、語れるものだとして多用されてきた。
ひそかにその発言を喝采する人がいる、癒しやつぶやきが繰り返されてきたわけ。

それが途絶える、運命になるのか。
不規則発言? 失言といわれてネットで流れた。


失言ではない、彼らは仲間内のネットでは許容してくれる。
自虐的であっても、同じ同志であると、「心のうち」では思ってくれていたはず。


「シャラップ」も失言として、取り扱われた。
録画で流された映像は、一般人にとっても参加できる会合ではない。
隔離されているはずの、極秘情報でもあったわけ。


ここに個人情報としての秘匿と、公人としての責務がせめぎ合う。
どちらが大切か、その決め手になるのは「みうち(身内)」の存在。
まわりがどう思っているか、そのことをなおざりにして社会の出来事が
次々と展開しているのではないか。
まさしく、マスメディアの不存在が明らかにされてゆく。


日本人のガラパコス的存在を、世界的に知らしめた。
日本の首相と、日本人はほとんど変わらない。
世界の中でたった10%、異種な存在そのもの。


いま私たちが、追求していること、その根源は「真実」。
嘘ではなく、自分の思っていることを発信し、人に知らしめて、次の意欲をもたらすもの。


いまネットで自民党高市早苗政調会長の、失言問題に飛び火しようとしている。
高市氏が思っていることをただしゃべっただけ、それなのに問題化される。
そのもとは、国民のほとんどが原発をなかったものとして「捨て置きたい」、
その心の中を代弁したからに過ぎない。
国民と、高市氏とは、立場が違うことは歴然とした事実。


ネットを使いながらも、本音を常日頃言ってはみても、実のところ内部でなんら
議論を尽くしていない。
たとえて言うのなら「諮問委員会」の不誠実さを証明しているのが、
近頃のネットの取り扱いだと思う。


私は、ケイタイを持っていないが、想像します。
ブラック企業では、どういうケイタイの使い方をするか。
組織で働いていて、上記のような「失言」を繰り返すことができるか。
日常の作業に、癒しのようなコメントを吐く環境にいるか。
まず、そのようなケイタイの使い方はできないでしょう。
二重三重の輪が、重なって企業が運営されているはず。
想像するだけだが、仕事のきつさが違う。



その反対の位に坐するのが、公務員、公僕としての責務を持った者。
首相のやっていることを見てごらんなさい、原発反対の意思を表明する妻。
個人的には、自分の意見を持っていることは素晴らしいですが、周りの人はそれをみて
どう判断するでしょうか。


現実の企業は、twwiter に紛れて 社内情報をまとめるなど、多忙を極めているでしょう。
社内で意見を言い合い、調整をする必要があるはずです。
それが高官となると、まわりの空気が読めなくても、事が運べる木偶の坊でやっていける。
会議に出るだけで日当がでて、会議内容のコンセンサス、真実の追及は無視していいのです。


これは、組織ではありません。
プリズムの存在が、すべてを暴いて真実を知らしめるのなら有効性があります。



野球のボールが、変わっていた。
日本の頭上にある空気が、一変していた。
それが、いつ国民に理解されるのでしょうか。