去年マリエンバードで

去年マリエンバードで 1964年 フランス・イタリア
LAST YEAR IN MARIENBAD


監督 アラン・レネ
出演 デルフィーヌ・セイリグ
   ジョルジュ・アルベルタッツィ
   サッシャ・ビトエフ
ストーリーはあるようでない。ストーリーを追うこと自体が無意味である。
人は映像や言葉に時間の因果関係を結び付け理的解釈を無意識に行ってしまう。
だから観客による想像力がストーリーやそれに伴う感情起伏を作ってしまうのだ。

ジョーク:ロブ=グリエ自身のお気に入りで、よく披露していたという。
警官「怪しい男だなぁ、この辺りで窃盗事件が多発しているんだが、お前
   やったんじゃないのか?]
男「違いますよ」
警官「本当か?昨日の夜も事件があったんだが、昨日の夜はなにをしてた?」
男「昨日の夜は、映画を見ていました。『去年マリエンバードで』って映画です」
警官「嘘じゃないだろうな?本当に見たというのなら、どんな話だったか説明してみろ!」
 
レジュメより ↑

ゲストスピーカーは、吉本研作さん

市民社会フォーラムの映画会

http://www.youtube.com/watch?v=ohnFpTNGY0g


時間のあそび。
紹介してもらわなければ、めぐり会えないような作品。
白黒で、抽象的なタッチ。
その時代特有の、演技陣を垣間見る。

名高い監督だから、見るというシチュエーション。
俳優の感情表現もいたって控え目、顔表現に「淡い」印象を受ける。

ストップモーションを使い、一部の俳優は動きをみせる。
ひとつの画面に二通りの「演技」を同時に求める。
演技者、自身が、登場するうえでどんな画面構成なのか未知の
状態で、撮影されていた感じ。
ある意味、ポートレイト写真のモデルか。

細面の男優について
夫の役柄であったという、見た後の感想談。
私には第一印象が、給仕とか秘書とか働いている人に見えた。

演奏シーンでも、映画で流れるオルガン楽器。
画面にアップされ奏でている楽器は、オルガンではない弦楽器。
監督の一方的な采配か、強引さか。
観客は、支配されるしかない。

全般に、豊かな身体した、肥満体系の役者はみえない。
意外なことに食事シーンや、酒を飲む演技シーンはない。
調度品を見ることがなかった、かもしれない。
寝ていたかもしれない。

実験的な映画であることが、すんなりと受け入れられる。
その時代にしか撮れない、素晴らしい仕事をやり遂げた。
スクリーンに描かれるものを、長時間見るのも疲れる。


眠たいのか、あくびの連続
まるで「(わたしは)見た」という、結論をえるために
映画を見ているかのような。

見たという経験をして、感想を語り合う。
この時間が、至福の時か。

http://www.youtube.com/watch?v=VbWwrMzhT-A