大阪2万人デモと「野宿生活者」

大阪2万人デモと「野宿生活者

集合地に着くまでは、何とか雨が降らずにもってくれました。
木陰に隠れて出発までスピーチを聞きながら、待機します。
のぼりを立て仲間に知らせようとしているのか、参加者が増えている。

デモ行進する道が、3つに分かれその出発点に。
長い列になり自分がどの場所に陣取るか、考えているのだろう。
雨を受け寒さに震えながら、時を待つ。
気温は摂氏10度から、数分で6度になる。

時間制限のあるマラソンを走るのでもなければ、先を争って急ぐものでもない。
みんなでゆっくり、道行く歩く人達に我々の意思をしっかり示すもの。
急いで歩くための行事ではないはず、それでも順番を決めるかのように並ぶ。

デモ行進で「頭に浮かぶ」ことは、健康人でなければ参加しにくいこと。
特に大阪の生活環境はきつい、ほとんど公園にトイレがない。
大阪市庁舎の隣でさえ、傍にトイレがない。
数百メートル歩かなければ、トイレにたどり着けない。

行進が始まれば、催してきても用を足すことが叶わない。
これで観光都市を目指すといっているのだから、身の程知らずもはなはだしい。
橋下さん、聞こえていますか、数年にできた大阪ではないですが・・。
トイレの施設があっても、使用禁止にして使えないトイレのある大阪。
健康でなければ参加できない、規則やルールがあるわけではないが眼に見えない障害。

公式には、参加者へ申し出されていないだろうが、自転車を持ってくる人が増えた。
正直、それは間違いだろう。
列の中断で歩くことができず、デモの終盤に押しやれるのがふつう。
でも、デモの本来の趣旨は、道行く人に参加を募って、ともに行進しようとすること。

はっきり言って、自転車に乗ってやって来るような人は止めてほしい。
時間を急いでやらなければいけない、そんな行動ではありません。
エスカレーターに乗って、その上を歩くような危険な行為をするべきでない。
デモをする意志がないと思われても、仕方がないことなのです。

私はデモの運営者ではありません、東京では「歩道」を歩いているようです。
この「歩道」を自転車を持って歩くことは、ありえません。
自転車は、車両なのです。

話は先日の、「野宿生活者」に移ります。
はからずも足が弱りました、デモに勢いよく歩けません。
その私が、デモを参加すべきではないでしょうか?

経済的に制約を受けてきたのは女性たちですが、実は男の野宿生活者がほとんどです。
弱い環境にいる人が、ほとんど弱者たちであってモノが言えない。
声を出して言おうとしている人に、デモに対して「やめろ」と言える人がいますか?

弱者に心配りができないのが、いまの日本社会であることを認めてください。
同じエスカレーターに乗って、「急ぐ」という理由で「先に乗っている者」を排除するのです。
「歩道」という場所を、自転車の「駐輪所」として保管場所にして狭めます。

弱者に配慮できない社会だからこそ、「野宿生活者」は社会の意識から排除されています。
大阪駅の高架下で野宿生活者が殺害されたことは、歴史的な事件に近いでしょう。

窃盗や殺し目的でない犯罪が、日本の二番目の都市・大阪のど真ん中で起こった。
警察という組織、交番という施設が「機能」していない証ではないでしょうか?
公衆の前で犯された犯罪者を捕まえる、と同時に犯罪を防ぐことが役割りです。
彼らは、これから起こるであろう犯罪に何もできない、ただのロボットです。

彼らと同じ、自分たちが「弱者」になるという、想像力を持つことができない、
哀れな社会に棲んでいることを認識すべきだ。
人生は短い、年老いて体は思うように動かないモノ。