メディアの敗北とNGO

メディアの敗北とNGO


メディアの敗北とNGO、日記について

セミナーや講演を聞きに行っているのですから、
それなりの広報の役割も必要と思っています。

なぜ興味を持って、参加したのかという動機です。
会の企画と、自分の思ったことを切り離して
書かなければいけないような気分になっています。

表現するもの、主張者の発言があるから、自分の意見がでてくるもので
自分の意見を最初から発しているわけではありません。

講演の内容と自分の意見を同時に、日記として記録に残すことが
いいことかどうか、迷っています。
文面の最後の方だと、部外者である自分の主張が強くなってしまい
戸惑います。

メディアのセミナーについて
いただいたレジュメを見て驚きました。
コピーをしたレポートとして、形を成していなかったのです。

これを言ってしまいますと、なぜその時に声を出して言わなかったか、
責められると思いますが、レポートの一部という軽い気持ちでした。
その時読んでいません。

会を運営されておられる方の、緊張感を量ってしまいます。
メディア、そのものの役割を意識しておられるのか、疑いかけました。
文面に書き起こす、表現する能力を高めることが主眼でしょうか?
一方的に伝えること重視し、セミナーに参加した者に伝わったかどうか
確認するまでの、その配慮はなされなかったようです。

日本社会における、派遣労働者の典型的なパターン。
自分以外の人たちのやっている働きと、自分おこなっている労働の関係を
言葉に出してみる経験がなさそうです。
労働を客観的に見る姿勢、その仕事が、メディアの本質的な役目ではないかと
その意味でいうと、メディアに関心のある者にとって「二重の責め」があります。

NGOのセミナーについて
セミナーの当初の企画は、NGO関係者という狭い枠組みで展開する、例会に近い
会合にする予定だったと、予想します。
プランを立てた段階で参加者が少ないと、想定されたので、MLに流れてきたのだと
想像しました。
確かに、予約を取る必要がなかったのです。

NGO団体には、それぞれに抱えた中心テーマを抱えています。
イラク戦争参戦検証問題
原発事故と再稼働問題
不況下での大増税問題
オスプレイの配備問題
TPPの参加問題
検察の調書ねつ造問題
憲法改憲問題
そして海外の問題に注目し力を注いでいる、NGO団体があります。

総選挙の時の脱原発でまとまらなかった政治のように、多くの問題を私たちが抱え、
それに輪をかけてNGO団体も動いていると思います。
この時代にどっとあふれてきた社会問題を、どうすればいいのかまとまりができないのが
「いま」だという思いがします。

海外に眼を向けていた団体が、これからどういう方向へ向かっていけばいいのか、
模索しているのが、今の団体ではないでしょうか?
政治に対して強くかかわろうとしないで、海外に視線をあてていたからこそ、
今までの活動をこなすことができました。

参加する方にとっては、参加する時間が制限され、協力できる経済的な支援も限界があります。
関心ある事象についても、すべてを関連付けて考える時間は持ち合わせていません。
情報を受け、参加するにしても、経済的な余力がなければできないです。

不況下でこれだけ社会が変動しているなか、団体を支持する人・参加できる人・支援をしてもらえる
資金を集めるのは並大抵ではできないことだろうと思います。
最初に出てくる言葉は、「ボランティアの参加」というものしか浮かびません。

もしNGO団体が安穏と運営できるのなら、経済的基盤がしっかりしており、大衆の支援を
多く受けているということでしょう。
一般大衆がNGO団体と一緒に活動しているということならば、不況下の経済状況が緩やかに
なりつつあるという証なのでしょう。

逆説的にいえば、広い観点から多くの活動が行われていること、それを知らされなければ、
経済的な支援を求められることもなく、「無事に」その日が過ごせます。
とどのつまり財布は、ひとつしか持っていないです。

主体たるNGO団体が抱える問題点(支援者を増やすという事業)、問題を解決するためなにを
どうやっていくかということ、NGO団体の広め伝えたい現実の「福島」。
NGO団体に、これから参加しようとする者、と一体となって話し合うという。
団体が仲立ちとなって、三者が合同でミーティングをするという、そういう雰囲気を
この会合に参加する前、感じていました。

段階を経ていない状況で、一足飛びに情報をシェアするという、気持ちの強い
セミナーの運営のように思います。