教育と人権

教育と人権

体験から言って恨みつらみがあり、教育の在り方やかかわり方が
万全でなかった思い。
和の精神を強調するあまり、個人を尊重しせず、
協調性を欠いていると評価される場面が多かった。
教師に対する評価が、時代に応じて激変しているのではないですか?
当時の社会を敏感に影響をうけて、教師が自信喪失していると、感じます。

少子高齢社会に突入し、高等教育の価値観さえ変わったのではないか?
家庭では児童虐待、高齢者虐待、学校ではイジメが横行している昨今、
教育という分野を国民自体が、とり違いをしているようにしか見えません。

生徒や家族の声に出さない想いを、受け取る感性を持ちえない家庭が、
ほとんどなのですから、人権という意識が育まれないのも当たり前です。
信号で歩いていても車が突入してくる。
歩道で歩いていても、後ろ前から自転車迫ってくる。
歩道を自転車と車が右往左往して、歩行妨害をしても誰ひとり文句を言わない。

和の精神を強調することが、イジメにつながることだと思います。
それを意識できるかできないか、それは人の感性にゆだねるしかないのでしょうか?

この和の精神こそ、いま言われるところのマスメディアの姿勢に表れていると思います。
趨勢を語ることに重点を置き、記者や読者の多様な意見を語ることはありません。
教育というものが、政治のテーマとしてもてはやされるようになって、今まで国民が
扱ってきた教育観がいかに軽薄であったかを感じさせます。
どこの家庭でも、子供という存在にスポットを当てると登場するが、教育という
分野です。

東日本と西日本が分断されて、異なった政党に振り分けられたとしたら、それこそ
政治を牛耳っている輩には都合のいいことでしょう。
福島の被災者に代表されるような、多様な意見に耳を傾けることができない、
そのような社会をこのままにしておいていいでしょうか?

国民が、人権を無視されていても反感を抱かないよう、
いいように飼育してきた、彼らの<教育>の成果かもしれません。