私がクマにキレた理由

コンセプト

コンセプトを見失う空間、社会。
眼の前の欲に執着する、青年たちと大人たち。
まるで手に付かない小金を、持ってしまったかのよう。

俯瞰的に物事を考えることができるか?、
たとえて、消費者側から見た行動分析。
価値観を形成していない、幼児期の行動を考えるなど。

立場を変えて、物事の判断する過程を振りかえる。
そういう検討をしないまま、この社会が動いているかのよう。
哀れなもの、本来の最終目的を想定せず、課されたテーマに
従って踊らされてしまう。

政党、企業、団体組織というモノに集まった<趣旨>を、
いつの間にか遠ざけて、日常の行動の良し悪しに心を奪われてしまう。

息子が政党の総統に選ばれなかったといって、政党に反する行動をする。
市政に関わっていて、国政にも加わる首長。
こういう背任を許している社会、それが問題です。

天をも恐れぬ、あくどいことをしていて、スーパーマンはついに
登場しませんでした。
日本に、スーパーマンは必要ありません。






私がクマにキレた理由 2007年 アメリ
THE NANYY DIARIES

監督 シャリ・スプリンガー・バーマン
   ロバート・プルチーニ
出演 スカーレット・ヨハンソン
   ローラ・リニー
   ポール・ジアマッティ

自由なニューヨークで素敵な仕事についてエリートになると意気込んでいたアニー。
ひょんなことからマンハッタンのセレブの家でナニーとして働くことに。

http://www.youtube.com/watch?v=0pyj6wh6Dw0





大学 → 高等教育 → 裕福になる → 幸福な家庭

それを補完するために、乳母・家庭教師になる話。
大学を卒業した女性が、その場に入り込むこと。
このことに社会的意義が、あるだろうか?
就職のできない卒業生が、結婚をせずに学んだ結果が、
子どもを教育できない母親の、代理でしかない。






最初のテーマ、コンセプトとしてある、
<教育>という事業が、人々に幸せをもたらし、
金銭的な裕福をもたらすという、根底が崩壊したこと。