とうとうここまできたのか

とうとうここまできたのか

テレビがないので、友達の家で番組を観た。
友達は一話ものでないので、中身をうんぬんするのは早すぎるという。
番組を作る方は、視聴率・経済優先でやっているので一つひとつが勝負のはず。

工場での、若い人たちへの技術の引き継ぎに関するはなし。
物語は、たぶんフィクションでありテレビのディレクターの意志に反するかもしれない。
これも同調しなければ、電波に乗せようとは思わないだろう。
その上で、解釈をする。

問題は、それこそ深いんです。
劇中で、若い人が自発的に仕事のスキルを高めようと、人が寝静まって練習をする。
ここから、人に諭すような教訓を見出そうと、話は展開するのでした。

組織において、どんな小さな集団でも意思疎通が大切なポイントです。
何を考えているのか、組織がどう動いているのか、説明する必要があります。
それがその構成員の、大切な役目なのです。

伝えるのが職場のルールです、突飛な行動をする新しい構成員に理解させる。
それがその場の長に課せられた、最低限の務めといわれてきました。
それがある時期、崩壊するかのような社会の流れがやってきたのです。

最初の津波が、派遣労働だと思っています。
終身雇用を否定するか、しないかといった出来事かもしれません。
仕事の連携、技術の継承、組織への連帯意識。
すべての繋がりを組織側から、否定する方向へ向って行ったのです。

大きく言えば経団連の浅い考えが、社会全体の流れを作ってしまった。
仕事の要領を誰が責任を持って、後輩の人物に伝えるか、その時間や費用を誰が負担するか?
それを無くしていまったのが、今の会社というモノです。

非正規労働で働く人は、そこでずっと働くことを前提としないのですから、仕事のスキルや
その職場独自のルールに無関心になるのは当たり前。
経営と労働が歩調を合わせるため、組合の果たす役目もあったでしょう。
組合の存在が薄れ、組合が廃れるのも当たり前。
<おしえる>という組織の役目を放棄、誰も教育を重要視しない風潮が生まれたのです。

個人的に飛躍しますが、3・11の福島第一原発のこともその原因だと思います。
教育という役目が、企業組織の中で重要な位置を示さなくなったのです。
反動で生まれたのが、下請け制度。
下請けがやっている仕事を管理できない、下請けがやっている仕事を大元の企業がこなせない。

番組の話に戻します、職場のルールは<テレビのフィクション?>として表現されることでなく、
職場で働くことによって、経験を踏んで習得されるモノです。
こんな基礎的なことを学ばなくてはいけない、そんな働くことに専念できない人がいるのでしょうか?
失業者がテレビを見ているのでしょうか?

マスコミ関係者は、高給で生活していると聞きます。
ぜいたくな暮らしをしている者が、貧困にあくせくしている人を取りあげることはない。
貧困に関する情報を流す、片手間なその場だけの体裁に終わる、それがごく自然。
本当の貧困に窮している人は、テレビなど馬鹿らしく見れないでしょう。

人間的に尊敬している俳優が、聞き取りにくいセリフを吐いていました。
私が常に耳鳴りをしているせいかもしれません、教えるという点から聞き取りにくい人は、
組織から排除されても仕方がないのです。