自然

自然に学ぶワーク

いぜんボランティアワークで、電車を乗り継ぎながら森林整備などの役割りに
参加していたことがある。
常連の参加者が、車を使ってのボランティアに違和感を覚えた。
遠くから出かけるまでもなく、森林の周りに稲も麦も拵える人たちがいる。
農業に従事していなくても、そばに生活をしている方がおられる。
その人たちにも何か声をかけるべきことはないか、そういうことを抱えながら、
そのワークに離れてしまった。それだけではないが・・・。

ボランティアというのは、あくまでも一時的な作業・行いに過ぎない。
現実は交通費・参加費など経済的な理由で、遠ざかってしまうのが普通ではないか。
あとはそのボランティアの存在に、それぞれの参加者がどう意味を持たせるか、
にかかっているように思う。
いつまでも同じ気持ちを持ち続けるのは、難しい。

森林に、日常とどのくらい関わることが出来るか?
生活の中にどれくらい、自然を組み入れることが可能か?
その1つが、パーマカルチャーへの誘いのように思える。
講習の参加者は、ほとんどが女性にみえた。
レジャーとして自然とのセッションを求めているのか、生活の中で自然を取り入れようとしているのか?
田舎の生活にどっぷり浸りながら、人生を楽しむ。
それともぬるま湯に片足を入れるように、街に糧を得ながら視野だけを森に向けていく、弱々しい。

自爆した原発、1年後のいま。
日本人は、複雑な心境に立たされている。
震災前の社会的状況が眼の前に照らし出され、この自然との関わりをどうすればいいのか、すべての国民に
問いかけられている。
生活の糧は、どうすれば得られるのか?
地方は、何をすればいいのか?
それを個人的に解決できなければ、森や自然に足が振り向かなくなる。

街ではない、地方の経済をどうするか、その問題を< 今 >突き付けられたと思うのだが・・・。
肝心の自治体や国、団体や組織はそういう意識が生まれていない。