学会

学会

メールリンクでの情報、申し込みをしてセミナーに参加する。
大災害をメインに、5時間あまりと聞いていました。
開始時刻より早く集まると予想をしていたが、増えそうにない。
部外者は、どうも私だけのようだった。
学会のようなものにあたったのは、二回目になるのだろうか?

見た感じ参加者は、私より年上のように見える。
会場でもらったチラシを見ると、主催者講演者の姓名が名前がすごい。
10〜20年前の時代に活躍したであろう、名字。
3人の講演を聞いたのですが、これを公開してよいかどうか考えました。
主催者に確かめるべきか、発表者に承諾してもらうべきか?
写真で言うところの肖像権のように、自分の判断で決めるしかない。

一文に、さまざまな視点から論議ください。
資料やメモ大歓迎です。
と書かれていて、通常ならば、メモすること、資料を手持ちすることは許されない。
裁判所の法廷ように感じさせられます。

学問の世界は、部外者にとってわからないことだらけです。
講演の内容は、5割程度解っているものと思います。
細かく言えばうわべだけの知識ですが、本質的なことではない、部分的な情報を私の方が持っているのではないかと思えたぐらいです。
講演者が現役の教授とすると、すこし寒くなりました。
現実の大学は学び舎だけでなく、社会に向って頻繁に発信されて < 公開講座 >が開かれている状況です。
レジメは、しっかりいただきました。
私の興味は学会なるものが、どういうことを討論しているのか、何を問題としているかでした。

そして、私のような部外者をどう扱うか、広く知らしめることが組織に意味をもたらすか、
学会の動きに注目したかったのです。
専門家、政治家、官僚、マスコミ・メディア全てに共通する課題。
すべてに通じることは、過去の実証や記録・知識の共有・情報の公開がされ、その時々に国民のコンセンサスが
積み重ねられてきたか、と問われていることです。
国民がこのまま、黙ったまま進んでゆくのなら、国民が愚鈍になるのをそのまま放置するか、
教育という事業を否定する側に、立とうとするか、どうかです。
その決断が、いまされようとしている。

立教大学、学位授与式で、2012年3月24日
東日本大地震、深刻なのは日常世界を構成しているさまざまな要素に対する「信用」が失われた
原子力工学放射線医学など、現代医学の最先端領域の「専門家」たちの事故後の発言が事態の混乱を深めた
既存の政治機構が機能不全、政治家の言動やマスメディアの報道が、事態をますます悪化させた
いま私たちは、大学の存在根拠自体が問われていることに自覚的であらねばならない

政治の無理解
行政の不作為    ⇔  科学者の限界  ⇔  住民・国民の     ⇔ < 循環 >
メディアの不勉強     技術者の失敗     不信・不満・不安


この要旨を引用させてもらいます。
大学が問われているのは、存在だけではないと思います。
知、そのものです、利益を生み出すもの、将来を予測できる要素を持ち具えた情報をつかむこと。
既得権益
秘密裏にして懐に収めることが、学問ではない。
上の立教大学の声明は、それを一面で表しているように思えます。

自爆した原発、震災後1年して。
知を介しての、信頼が完全喪失している日本。
譬えようのない危機に瀕している、さなかにいることがわかりました。