未来を写した子供たち

未来を写した子供たち  2004年  アメリ

Born Into Brotherls. Calcutta's Red Light Kids

製作・監督・撮影   ロス・カウフマン     ザナ・ブリスキー

インド・カルカタで売春窟で生れ育った子供たちが、カメラを通して外の世界へと飛び出してゆく姿を追ったドキュメンタリー。
売春婦の取材に訪れた女性カメラマンは、子供たちに写真を教えるだけでなく、多くのチャンスを与えようと奔走する。

1人の女性カメラマンが始めた、希望を与える写真教室。

子供たちの表情が豊かで、眼がきれい。
学校や寄宿生活というものを想像できない、環境に育ち、子供たちは自分のコミュニティをつくった。
普通なら小学生、・中学生の学びになるのだが、彼らにそれがなかった。
そう断言しても間違いないだろう、子供であっても男と女では違う目で見られていた。
少女の座って洗い物をする姿は、もう一人前の女性になっている。
女性は、生れたときから働き手として見られる。

生れた年月によってみんな集まって学ぶというのは、なんと素晴らしい経験と制度であろう。
あの時はそれほど学に一心でなかった、しかし学び舎を去る時は自然と涙をためる。
学校は、そういう場所なのだ。

その学び舎をつくるために、ザナは写真教室を開いたのではないか?
一緒に学ぶ友達を得る、それが彼らに生きる力を与えるのではないか?
そんな気持ちにさせられた。
監督であるロスは、一生子供たちと関わることを宣言していた。

写真を上手に撮る、あえて技術を伝えようとはしていない。
ピンボケの写真、カメラのブレ、力を入れてカメラを握らない。
そういう細かいテクニックの部分を、ザナは子供たちに教えていない。
子供たちがじっと立ち止まって、決してカメラをゆすらないこと。
そういう基本の部分を伝えていない、そこに深い芸術性を感じる。
ショットを狙うというより、そこに生まれた偶然性を大切にしているように見えた。

ザナは、子供たちにカメラのフレーム、構図について注意を与えていた。
付け加えたいのは、その時、何を撮りたいのか?
何が、言いたいのか?
次に何が、起こると空想するのか?
その瞬間を求めて、待つことが、大切ではないか?

子供たちの中でアヴィジットだけは、アムステルダムへ奨学生として写真の学びに招かれていた。
学術に励むわけであるが、既成の概念で子供たちを一方向に歩ませることを強いなかったザナ。
それが教育という、本来の大人たちが果たさなければならない事業なのだ。
ザナは、それを理解しているような気がした。

あらゆる子供たちが、小さいころから慣れ親しんでいる。
環境の整った学んでいるところなら、全員そろってまとまって学校へ行ける。
ところが、収入の多寡や兄弟・家族の思いやり協力がなければ、子供が学ぶなど到底叶わない。
子供が希望をもって生きるというのは、大変な事業なのだろう。