建築設計


建築設計の文化

設計者のシンポジュウムの一端を Ustream で見ることが出来た。
迫真の会議で、彼らがいま何を悩んでいるのか、一目でわかった。
価値観の修正を強いられ、設計の基準を模索しているのだと想像した。
話の中身が何のことなのか理解できず、まさに設計家者同士の議論で庶民に向けたメッセージはなかったようだ。
一部分しか、映像を見ていない。

情報を追っかけるのだがつかめない、情報難民にあえいでいる。

探している間に、学術界のページに突き当たる。
3・11以後の動きに、学会自体、行き先のない道を進んでいると思い始めたのか?
グローバル化を旗印に、舵を取っていたが、ここにきて進む方向を嫌がうえでも選択しなければならなくなった。
学術そのものが、自爆するのではないかと懸念する事態。
真剣に模索し始めている様子が、見え隠れする。

学問を研鑽するに、何者もそれを阻害する存在などないと人々は考えてきた。
3・11ここにきて、天と地が入れ替わった事象に巡りあったわけ。
科学を追求するには、誰でもが知るべき、真実に基づいて情報が公開される。
国民であれば、何事も知る権利は冒されないといわれてきたことが、完全に覆されたわけ。
それもインターネットという道具を、手に入れた瞬間からの出来事である。

学会でその威厳を保とうとしている、人たちにとって、その立場を追われる窮地にいるということになる。
なかでも原子力工学、これほど国民が真剣になって学ぶチャンスが訪れているのに、民の耳を塞ぐ文化が続いている。
われわれは、学ぶなど到底できない、地球の僻地に追いやられている。


http://www.aij.or.jp/
社団法人 日本建築学

http://jeqnet.org/sympo/no3.html
日本学術会議