コミュニティ

コミュニティ

地域コミュニティの希望
東日本大震災から1年を迎えて

阪神淡路大震災、また東日本大震災のボランティア活動などを長年続けている、
渥美公秀教授。
東北へのボランティア活動を学生と共に広げている、
岡田龍樹教授をお迎えして、東日本大震災で地域コミュニティが果たした
役割りなど、現地の声からシンポジュウムが開催された。

大阪市教育委員会事務局 主催です。

2004年新潟中越地震から東日本大震災では岩手県野田村まで支援を続けている。
(特)日本災害救援ボランティアネットワークを運営されている。
1、被災地支援          岩手県野田村・ボランティアバス
2、避難者支援・現地支援     新潟中越 → 岩手県野田村 → 福島南相馬
3、後方支援           西宮での募金、西宮への避難者に寄り添う

このシンポジュウムのチラシは、たまたま前日手に入れる。
興味を惹いたのは、コミュニティという言葉です。
被災者だけでなく、被災者でない人たちも同じようにコミュニティがないと危ぶまれているのではないか?
そういう思いで講師の発言に、聞き耳を立てていました。
支援する、支援される。情報を提供する側、情報を受ける側、どちらの立場もいえる。

長いボランティア経験から、岩手県野田村では
外から持ち込むイベントではなく、
住民から始める、住民の力でできるイベントを。
見なし仮設(民間アパートに住む被災者)では、訪問者から忘れられないあり方が望まれる。

コミュニティがしっかりしていること。
生き残ることが、大切なこと。
コミュニティの中で大切なことは、生きること。

ボランティアとしては、とくに何もしないことを決定したとのこと。
経験から会得した、考えをもった姿勢だと思います。
寄り添うという言葉が掛けられました、そのことばから<介護>を思い出しました。

新潟中越岩手県野田村、福島南相馬、そして阪神淡路大震災と、被災地のリレーが行われている。
年金を巡っての中高年と若者、組合に守られている正社員と派遣労働者、被災地における避難と非避難。
意見を交流するまでいかずに、対立したまま顔も見られない関係にいるのではないか?
年齢と性差・職業等によって、断層が生まれている。
これを、突き破れないだろうか?

被災地での女男死亡の原因を、教えてもらった。
女性は80代の老衰による死亡、男性は5、60代・肝疾患による死亡が特長だと。
非被災地であっても被災地であっても、この死亡原因を聞いてみれば納得できる。
外に吐き出すのではなく、内に閉じ込めて仕舞おうとする男性独特のコミュニティを変えるべきである。
そういう日常性に逃げることのできるのがいまだと思う。

ひとつのコミュニティに固執するのでなく、コミュニティが多層化され作られるのがいい。
相手のコミュニティだけを想定するのではなく、普段の生活に戻るコミュニティを考える場があっていい。