落ちこぼれゼロ

<働く女性の教養講座>
この前置きのテーマがあるとは、知りませんでした。

MBS記者のアメリカ・レポ=教育基本条例のゆくえ」

 レポーター: 斉加尚代さん ( 毎日放送報道局 )

開始時刻に遅れ、途中からお話を聞くことに。
理解できていない内容を書くことになります。
劣っていることを、証明するような文章になりますが、講演者に申し訳ないと思いつつ報告をします。
M B S 特集番組「大阪の教育未来図ーアメリカ落ちこぼれゼロ法から学ぶ」があったようです。

ミシェル・リー
有無を言わせない権力によって、高評価の教員に高給を約束をし終身雇用を廃止した。
教育の数値化、無駄の排除を目指した。

NCLB(落ちこぼれゼロ)法のキャッチコピーは、トップを目指して競え!
州や市町村、学校ごとの序列化と数値化
その歴史は、イギリス(1988年)
      アメリカ (2002年)
      そして 大阪へ続こうとしている (2012年)

その取材と大阪を較べると、

大阪維新の会の「教育基本条例案」 と 「教育行政基本条例」等の中身を教えて頂きました。
知事や市長が教育目標を設定
校長を公募、不安定な有期雇用に?
教員への罰則は、職員基本条例

レジメにはもっと詳しく書かれていますが、この程度に収めておきます。

セミナーに参加し、私が出る幕はなかったようです。
現役の主婦というより、職場で働いているような女性の雰囲気を感じました。
主な対象校やターゲットは、高校・府立高校の選定につながるのでしょうか?
教育そのもののことではなく、生徒に教える教師陣のシステムの話のようです。

もともと橋下さんの話をするのが、好きではないのです。
私が話をするような、注目する人ではありません。
そして教育のことなのですが、関西・大阪に関することだけでついていけないのです。
本人はさらに国政に入り込もうとしているので、大阪の問題として取り扱うことに疑問があります。
大阪を根城にして、国を紛糾させようと目論んでいるに過ぎない。
組合についても同じです、大阪市の労組だけ限った話ではないはずです。

事の発端は何か、それを中心に据えて考えるべきだと思うのですが、この世の中、橋下で動いているようです。
いま日本で起こっていることから、すべてを考えるべきだと思うのです。
震災と自爆した原発から日本の歩み方を考えてみれば、これまで日本が進めてきた教育を正しかったか、
間違っていたか、そのことの是非を確かめ修正をしなければならない。
その時が、いまではないかと思うのです。
この高等教育の延長線上で、このまま社会が継続できると誰が確信しているのでしょうか?

政治家や官僚に任せられない、そして科学を教えるべき教育制度が果たしてきたこと、この現実なのです。
国民の信頼を政治や官僚・有識者に託すに、科学的知見を備えている人は稀であることを思い知りました。
この人たちを育ててきたのが、今までの日本の教育の果たしてきた実績なのです。
スキルを持ち万全の社会的役割を果たすと、信じられ続けてきた職域。
法曹界、医学界、教育界において、高等教育を受けた後にとどまった先、就職難が待ち構えている。
誰がこれを知りながら、学問を学ぼうとする人が現れるでしょうか?
日本はすべてダウンサイズイング、しなければ維持できなくなるのです。

教育システムをどうこうするに至るまで、これまでの教育の歴史を踏まえてなにが必要か、その中心になる柱を築くべき時ではないでしょうか?
この反省がなければ、次なる教育の在り方が形作れないと考えます。
就職ができない学生をいくら増やしても、明るい社会は作れません。
今までの価値観を一切天秤にかけて、修正しない限り、次の一歩は進めません。
これからの社会をどう築き上げるか、国民自ら考えを構築するしかないでしょう。 

橋下が庶民に受け入れられている、その要因はこれまで社会が行ってきたことに対する、反動でしかありません。
大方の庶民は、既得権益によって保障されることもなく、組合など団体組織から押されるような立場を得ることは
叶いません。
庶民は組合など入らず、医療を確保できず・年金を獲得することも保障されず、労働派遣法によって孤立し分断されるしかない。
労働組合員・官僚・政治家など既得権益者たちに憤りを感じ、その立場を揺らぐような政治の裁断を望んでいるのです。
既得権利者が立場を追われることで、わが身が浮き上がるものと信じこんでいるようなものです。

教育を受けたからには、身を立てるものでなければなりません。
教育そのものの、議論がわきあがる時はこの日本でやって来るのでしょうか?