中島岳志のフライデースピーカーズ

中島岳志のフライデースピーカーズ

死者が、テーマにありました。
私自身、死者という言葉を身近に感じる歳になった。
明日も知れない存在、それが死。
もうすぐ3・11から1年後を迎えます。
考えるには、絶好の時期です。

原発の再稼働を発信する大臣が、現れました。
本家本元の、国民の安全を図らなければならない、所轄の大臣です。
国民を死に至らしめた、その要因を排除したというじしんがあるのでしょうか?

思想的なものを。
書籍から探り当てようと、本を読んでいます。
四雁川流景  玄侑宗久 文芸春秋  2010・7・15発行 

1956年福島県生まれ。
慶応義塾大学文学部中国文学科卒業。
83年、天龍寺専門道場入門。
現在、臨済宗妙心寺派福聚寺住職。

陰と陽とすれば、やはり陰のはなしであり、死にむかっての思い。
陽から陰を望むのではなく、陰を中心にして生きていくという雰囲気を漂わせる。

日常で死は、隅に追いやられ覆い隠されている。
死に顔を思い出すなど、日常では稀なこと。
葬儀にかざす遺影は、若かりしの姿。
颯爽とする姿が好まれ、老いた姿はふさわしくないのだろうか?

死者と語る、死者を語ろうとする機運が高まっている。
死を自分とかけ離れた存在として見るに、自分は老けすぎた。
震災後1年目を迎えようとするからこそ、死者に向って声を上げなければならないことがある。

日本と海外の取材レポートを較べて、カメラで捉える死者の扱いの違い。
死者は映らない、死者を映せない、日本の震災写真。
この流れが、いったいどこから出てきているのか?

肖像権があるのかないのか?
真実・事実ということがすべてを支配し、カメラマンは使命感をもって動いておればいいのか?


○『救いとは何か』森岡正博山折哲雄 (筑摩選書)3月13日に発売

○ 生者と死者をつなぐ: 鎮魂と再生のための哲学
  作者: 森岡正博   出版社/メーカー: 春秋社  発売日: 2012/02/17

○ 魂にふれる 大震災と、生きている死者
  作者: 若松 英輔   出版社/メーカー: トランスビュー   発売日: 2012/03/06

原発による自爆から労働事故や災害というケースが、頻繁に起こっているような気がする。
事故の回数は、依然と大差ないとしても、災害のニュースを聞く側にしてみれば死亡事故は神経を逆なでする。
東電という大会社、その采配に支援をする国の政策。
これから永遠に被災者になり、保障の対象にはならない。
ただ納税する国民でしかない。

死は生きる者にとって、遠い・かけ離れた存在ではない。
若いうちは働いているとき、仕事中、同僚が死亡するということあった。
死は隣り合わせにいたのだが、誰かが守ってくれる、保障してくれると思っていたのかもしれない。
ついに国や自治体は、誰も守ってくれないことが、身をもって教えてくれた。
そして交通事故は、どこにでもある。

「四雁川流景」 では、娘の事故死をめぐって残された親の話が綴られていた。
歩道上、娘の所作について考察がある。
ケイタイの通話、大きい犬に驚かされて車道に飛び出してはいないかと疑い始めた両親。
すごい勢いで走ってくる、自転車の登場にはならなかった。
人を人とも見ない、現代人の交流を垣間見る思いである。
ケイタイを見ながら歩くという、勇ましい行動をやり過ごしているのだから。

死は、生のあるところに隣り合わせ。
震災前は、それを忘れていたのではないか?