復興の精神

復興の精神  2011・6・10発行   新潮新書 

養老孟司 茂木健一郎 山内昌之 南直哉 大井玄
橋下治  瀬戸内寂聴 曽野綾子 阿川弘之

精神の復興需要が起きる
変化を恐れるな
私欲を捨てよ
無用な不安はお捨てなさい
どん底は続かない
・・・その言葉は時に優しく、時に厳しい。
3・11以降を生きてゆくための杖となる一冊。

からして、この本を手に取り難い。抵抗がある。
カバーに書かれたあらすじ、それにも入りにくい。
ごく普通に自然体で書かれた、文章を期待していた。

震災当時、あれこれと情報を得るために、本を探していた。
テレビ・政治のやることに、信頼を持てなかった。
新聞はもとより読んでいない。
総合雑誌に希望をもって、読まざるを得なかった時期。

一年になろうとするいま、この類の本を読み始める。
不安で落ち着かない、心情を書き綴ったものを求めている。
講演セミナーなんでも時間があれば、遠くでも出かけた。

もうそろそろ、気持ちが落ち着くだろうと思うのだが、まだそこまでいかない。
精神的な支柱になるような、話が聞きたい。
宗教は苦手だが、そちらのほうへ緩やかに動いて行っている、残念ながら。

いろんな考え方がある、大津波、震災、原発事故、その中で何が焦点になるか?
原発だと信じ切っていたが、天災というくくり方があることを知った。
いまになって、思いもかけなかった日本の天災が報じられる。
馬鹿な、天災があった後でそんないにしえの災害・過去を急に告げられて、庶民には返す言葉がない。
国が、自治体が、電力会社が、それは掴んでいたはずだ。

戦前・戦後が、文化の違いを分ける重要なキーワードだったが、そのワードが震災に変わるか、それとも
福島原発元年にするかのちがいに。
ちらほらと、有識人たちが、<原発震災>という言葉を使い始めた。
それはないだろう、こういう言葉を使いはじめたら、国は崩壊するしかない。
原発事故は天災ではない、これが合言葉だ。

日本列島は、記録に残るだけでも、貞観地震津波(869年)以来定期的に大地震に見舞われてきた。
江戸の大火は、1601年から1866年まで93回起こっている。
幸いなことに、為政者には「長期にわたる環境保全の方針」を立案する明るさがあり、それをきちんと実行するだけの民度が社会にあった。
その森林管理は「木一本、首一つ」といわれたように徹底していた。

いま政治家たちが危機に際しても、政治的指導力が見られない。
プロメテウスのように  大井 玄

日本の自然・エネルギー資源・環境は、ほとんど変わっていなかった。
政治的指導力もおなじく、人材は育たなかった。
その過去の歴史を振り返るだけで、この震災の意味があるように思う。
今までの価値観を修正していかなければならない、時を迎えた。