いのちを守る脱原発〜ドイツ×日本から世界へ

いのちを守る脱原発〜ドイツ×日本から世界へ

増山麗奈「いのちを守るお母さん全国ネットワーク」代表主催の講演に参加しました。
志葉玲「ジャーナリスト」司会で、ドロテー・メンツナー ドイツ左翼党連邦議員、肥田舜太郎(医師)、
アイリーン・美緒子・スミス(グリーン・アクション代表)が紹介されました。

こどもたちを被曝から守る温かい国際的なつながりを模索しますと、メッセージが書かれています。

関西で大阪で、これからどうして過ごしていこうかと悩んでいるお母さんの気持ちがこもっています。
Uチューブなど拝見し、はじめて肥田先生の生の声を聞きました。
すごい迫力です。マイクが必要ない、力あるお言葉でした。

1917年広島生まれ。1945年広島にて被爆。軍医として被爆者救援にあたる。

その当時の話がほとんどです。
被曝者の治療にあたりながら、その医療に関する情報は他言ならないとGHQから指示を受けていた。
被爆者の症状としては、腕に紫斑ができること、頭の毛が<ずるっ>とぬけること。
そして、今まで見たことのなかった症状、眼の瞼から出血をすることでした。
当時の医者たちは、この症状を見たことがありませんでした。
こういうことを私たちは、はじめて知ったわけですが、当時のGHQ、アメリカ日本は国民に情報を知らせるということを、重要視しなかった。
そして、震災後初めてこういう情報を獲得しているという、事実を認識すべきだと思います。

世界で唯一の被爆国でありながら、新たに唯一の原発の自爆国になったにもかかわらず、学ぶことが出来なかったのです。
震災後、私たちは<かがく>という言葉に打ちのめされてきました。
本当の<かがく>を学んできただろうか、本当の<かがく>を応用して工業を支えてきたか?
それをいつまでも考えざるを得ない、立場に追い込まれました。

医療という分野において、研究に生かすための材料を自国で保持してきたでしょうか?
少なくとも、私たち国民にとって医学知識を広めて、放射能に関する予備知識を獲得するまでに至りませんでした。
日本の被爆者は、貴重な情報源なのですが、重要なモルモットなのですが、その認識をもたなかった。
いまここで、ふたたび放射能に向き合うことで、実体験から学ぶしかありません。

肥田先生は、自分だけ危険から逃れようとせず、みんなで一緒に生きようと励ましてくださいました。
日本のどこに移住しようと、大差ない・変わりはない、全土がすっぽりと覆われている。
子供を産めるでしょうかという質問に、宿れば産みなさい。
堕胎など考えてはいけませんと強いお言葉でした。

震災前、知識が足りないと思い、私たちは少しずつ学んできました。
情報がふんだんにあり、どこからでも取り込めると思っていたのが、いつまで経っても充分あるとはいえません。
流されているマスコミの情報が、毎日毎日積み重ねられたモノでなく、バラバラにまき散らされているとしか見えません。
95歳の肥田先生が、長年こういった講演をなさりながら、まだ国民の側がまだ理解するまでに至っていないのです。