小川のほとり

小川のほとり
卓越した剣の腕を持つ朔之助に下った命は、親友の佐久間を討つこと。
2011年7月2日公開
監督 篠原哲雄
脚本 長谷川康夫 飯田健三郎
原作 藤沢周平
プロデューサー 小滝祥平
音楽 武部聡志

出演 東山紀之 菊池凜子 勝地涼 片岡愛之助 尾野真千子 藤竜也

一命
大名屋敷に初老の浪人が現れ、切腹のため玄関先を貸してほしいと言う。
2011年10月15日公開
監督 三池崇史
脚本 山岸きくみ
原作 滝口康彦
エグゼティブプロデューサー 中沢敏明 ジェレミー・トーマス
プロデュース 白石統一郎 関根真吾 服部徹 逗子健介 内田康史 横山真二郎
プロデューサー 坂美佐子 前田茂司
音楽 坂本竜一
殺陣・擬斗 辻井啓伺
出演 市川海老蔵 瑛太 満島ひかり 役所広司 中村梅雀

パルシネマの上映スケジュールをみて、神戸に行く。
公開が2011年震災時、そして時代劇。
とても一作では巡りあえなかった、パルシネマの計らいで見ることが出来た。
時代劇これからつまらなくなる、その原因は文化の継承だと聞いた。
髪化粧の技術、剣の扱い、時代考証など、それで食べていけるだけの仕事がない。
テレビ・映画、同じように需要がないらしい。

時代劇の最終版ではないかと、思える作品であった。
2作品を同時に見たので、内容がごちゃまぜになったかもしれない。
藩の窮乏にあわせて、武士世界にも軋みがでてきた江戸時代。
水の災難・治水事業、経済のひっ迫に侍がついていけない。
両作品は、自然の災害・水の災難を強調して描かれていた。

藩の行政、指導者の誤りが修正されない、まつりごとに対する庶民の怒りを覚えさせる話である。
個人の意見を無視し、他の者が斟酌せず何も言わない、烏合の衆になる。
ここに、個人と対立する組織の存在がある。

東映と松竹という、作品のブランドの違い。
殺陣については、クレジットに表記されていた作品と、クレジットに表記されていない作品がある。
兄妹が生死を賭けて闘うだが、兄妹の心情が刻々と変わるのにドギマギする。
つい先ほどまで藩の命令に従い、武士同士が争っていた。
戦いを終えた兄に、血を分けた妹が刃を向ける。
それもこれもやっとの思いで、たまたま勝つことが出来た。
この登場人物の心情が、私にはわからない。

男と女が剣をもって戦うのだが、女が片手で真剣を支える。
それは無理だ、そんな殺陣はない。

侍の貧窮な生活を精細に描かれて、涙を流した。
赤子を亡くした思いは、誰にもわかるものではない。
その赤子がふっくらとした、顔の持ち主だった。
切腹の場面、いたずらに背中を画面いっぱいに映し出すので、竹でできた剣が腹から背中へ突き抜けるのではないかと、観客を凝視させる。
飽食時代のいま、貧相な顔・栄養のない肌や背中・やわな赤子など起用できるはずがない。

武士の魂といわれていた、腰に真剣を差さない武士の姿。
その窮地に立たされた武士が、刃を持って一流の腕前だとは信じられない。
勉学に長ける武士に育った若者は、武芸に励まなかった。

竹の脇差をした浪人を相手に、真剣で立ち会う武士たちの存在に圧倒される。まるで拳銃と剣。
たとえ狂言切腹でも、竹仕様の刃でなく真剣を差しだすのが武士の情けというものだろう。
後世の笑いの種にならぬよう、誠意を尽くすのが人情というもの。

震災の事実が明らかになるまでには、まだまだ時間が足りず充分に検証されていない。
時代劇でなければ描けないモノ、長年我々が日本人として味わってきた同じ辛苦。
日本人でしか表すことが出来ない。
時代劇は、ますます遠くなる。