脱「貧困」への政治

脱「貧困」への政治   岩波ブックレットNo.754
2009年4月22日発行  ¥480
雨宮 処凛
中島 岳志
宮本 太郎
山口 二郎
湯浅 誠

本屋の棚で見たような気がする、いま題を見てもやはり本を取り上げないだろう。
貧困・政治という2文字に抵抗がある。
自分の考える対象には、入らなかった。

本の中身は、トークセッションがほとんどで会話形式。
この本の64ページ、最後の行に中島岳志が述べている。
「私はこのような議論をいろんな場所で展開していくことこそが、重要だと思っています」
「小泉元首相がぶっ壊したものは自民党でも官僚政治でもなく、議論です。そして言葉です」
まさしくこの言葉の持つ、印象そのものが日常生活のすべてを埋め尽くしてしまう。
貧困ではなく、別の引き回し方があってよかったのではないか?

親の世代、祖父祖母の世代、孫の世代間において、言葉・文化の断絶がある。
年金と医療保険に関する、給付額の差である。
その決定的な違いの要因が、先代・前の世代が行った過去の政治に起因していること。
若者たちが生まれる前に、先取特権で獲得された<既得権益を一方的に行使された>結果である。
先の世代が権利を主張しているのは、それが過去に起こった事実であること。
自民党員、公務員、NTT社員、日航職員、団体職員。
すべて過去を引きずっている所属名、過去の言葉。
過去は、それなりに実績はあるが、多くの不祥事を抱えているモノでもある。

言葉を使って、その仕事を勤めるのであれば、もっと真摯に言葉を選ぶべきである。
一般官僚が口にする限り、その言葉を発することにより彼らの意図や意向が含まれている。
そしてこの言葉は、歴史の事実として残される。
「直ちに影響はない」と国民に記者会見をした人が、国事を決定する際「議事録を作っていなかった」
そのことが歴史として伝わらないはずがない。

なぜ、このような言葉遣いを社会が納得して、黙認しているのか判らない。
言葉を選ぶ際、発する者にとっての価値観がそこに生まれているのであり、それは事実として認めるしかない。
その価値観は過去のものであり、過去だから言葉として表すことができる。
必然的に、そこには<既得権益>に相当する、<過去のうまみが生じている>。

この言葉遣いをする官僚や政治家の考えが、整合性のない、社会科学的な思考能力のもたない人たちの、
グループであることをしっかりと認識できる。
財務省の大臣が自分の言ったことを、弁解しているように。
この本の題名。
脱「貧困」への政治

放射能を取り除くことができないのに、<除染>という言葉。
福島第一原発といいながら、ひとつの原発ではない。
企業組織が法律を犯しておきながら、誰も罰しない法治社会。
出産死が少ないにもかかわらず、法律の網にかからないひとり出産。
少子高齢社会といいながら、ひとり孤独に悩んでいる人が多い社会。

まるでCMのように、放たれる言葉によって・・・・・
私たちの思考を一定の方向へ導くよう、仕向けられているように感じる。