映像とデジタルシネマ

映画とデジタルシネマ

現代映画の製作術と題して、PLANET+1 富岡 邦彦 代表の講演を聞く。

日頃の講演慣れから、次々とこちらの聞きたいことが伝わってくる。

聴講者より、お若いように感じられる。
富岡さんは、脚本からプロデュース、海外の映画祭と親交が深いとのこと。


映画界においても状況は劣化へと引きずっている、との内輪の話だった。
デジタルという流れは、フィルムとは異なる世界を導いている。その同じ道をデジ化は歩んでいるらしい。
今の映画館は、その典型的なパターンで回線を通して映像が流れるという。

職種として消え去ろうとしているのが、映写技師。専門家の立場から、時代の動きを想像できて新鮮に感じられた。
大学の映像科の講師を担当し、過去の映画とは異なる隔世の違いがあるという。
端的な例が映像科を専攻する学生が、映画を観ていないというショックな話。
学生たちが映画を観ていない、その経験からして映画の発展は想像もできない、劣化への道へ下るしかない。
それを防ぐ意味でも、映画を鑑賞してきた立場からスタッフに意見をどんどん言ってくれるように、声がかかりました。
日本が少子高齢化の社会に向かっているのですから、観る者の立場を理解し、その批判に耐える脚本の支えがなければならない。
観客をひきつける題材の選別は必要で、我々の賛同は欠かせないという話でした。

時代の映画製作者育成プロジェクト、CO2の運営事務局、大阪アジアン映画祭インディ・フォーラム部門のプロデュース担当。
映画の、製作・上映のネットワーク構築に務めておられます。
<ピント>と言葉を話されました。若い人は、このピントということが理解できないらしい。
このことは私も同感で、自主上映の映画館でも同じ経験があります。
スクリーンに映像が合っていない、ずれて映像が映っているのに観客の誰もが、声をかけて修正をしないのです。
テレビ、DNDと同じく、セットすればそれで終わりというスタッフの思いがあるのです。

かつては、ピントといっても、
フィルムに撮る際に合わせる、ピント。
スクリーンの映写に合わせる、ピント。
二つの解釈がありましたが、その両方とも消え去りました。
観客は、物言わぬ、ただの金をむしり取る客・道具に過ぎなくなったのです。
映画館には、その場所に出かける、新しいコミュニティに集うための儀式があるのです。
家でDVDを観ているのと同じではない、そういうことを言われているような気がしました。

CO2のワークショップに参加して、観るほうの立場から声をあげたい。