天皇ごっこ

天皇ごっこ見沢知廉

セミナーを駆け回り宣伝を聞いた、ぜひ見たいと思っていた作品。
出演したご両人の、講演を拝聴したことがある。
人物、人となりを描くとは、どういうことなのか?
映画の役割りは、映像を通じて感動を与えること。
音楽、映像、文化を継承すること。
深く物事を考えさせないのが、映像だと感覚的にとらえていた。

人生観、価値観など、ある思想を観る人に伝えることができるだろうか?
そんなことを考えながら、映画館に入った。
インタビューにこたえる出演者、それを見て居眠りをする。
述べている中身を理解する、それは無理だ、感情が移入できない。
思いがない、考えが出てこない、出演者の云っていることが頭に入らない。
刺激的な場面が映し出されない、それがねむけを誘うのか、映画は刺激ではないのか?

見沢の人生のあらましが、画面全体の字幕であらわれる。
過去の出来事だからと、見沢と私は別々に振り分けられる。
見沢が自死した年、2005年の記憶に頭が移っていく。
字幕が流れると、そこで題材と観客に分断。
見沢の言動を語るにつれ、インタビューに応じる女優が眼に涙。

三島由紀夫、彼を崇めていた見沢知廉、その足跡を辿ろうとする観客。
死に望み、生者の性ともいえるような、あの地を想像する。
人生をアルバムのように、映像で綴ることができるだろうか?
さらに思想も載せて、それを観客に伝えることが可能かどうか?
字幕を読むことに苦痛を覚える人が必ずいるはず、そういう人がこのような映画を観ようとするだろうか?

観客の数を読んでみると、10人もいなかった。
見沢知廉の本を読まないまでも、彼の心情をたどることはできないものかとこの映像を選んだ。