災害と国際コミュニケーション

災害と国際コミュニケーション

東日本大震災原発事故関連について、外国人はどのように接し、どのように伝えたかを国際的な視点から取り上げます。
司会 劉 雪雁 
パネリスト スティーブ・ジャービス
      符 祝慧
      白 承國

ワークショップと題して、日曜日に催しされました。
その理由は、学生を引き出すために日曜日にしたのではないかと思われます。
「地方の時代」映像祭2011、その間映像に関する批評などを絡ませて、話をしようとする
試みです。ドキュメンタリーという切り口で、投稿を期待するわけですが、今年は例年と異なる賑わいを醸し出しています。
ドキュメンタリーに新たな力を、庶民が見つけたようです。
テレビという媒体を通して、自分たちの意見を吸い取ってくれると思い込んでいるように感じられます。

国という大きな権力にすべてを覆い隠されて、黙って声を押し殺さなければ生きていけない庶民を連想します。
国、東電、その次にテレビ、新聞、メディアと連綿と続くのですが、その権力の動きを想像させる発言があります。
日本人としての枠を乗り越えて、他国との違いを教えてくれる外国人のパネラーたちです。
東京在住が二人、関西二人というパネリストさんの構成です。
なかでも気になったのは、特派員の経験がある司会者と現役のパネリストです、ともに女性でした。

津波が起こったとき、何をしていたのか?
原発が爆発したとき、何をしていたのか?
国民がわからないとき、自衛隊はヘリで原発を空から散水しました。その映像を見たとき外国人は笑ったそうです。
2011年という年、日本という国を世界中に知らしめる出来事です。
その日本のなした行動の、その対象軸になりうるのは、テレビ放送・新聞業界などしか見当たりません。
それが、このドキュメンタリーの手法で、その力となるとみんなが思い込んでいる。

あの原発の施設を30キロ付近遠くから映していた、公共放送にその余力を望めるでしょうか?
あの時我々はいったい何をしていたか、国を問い詰めテレビの正体を確かめ、自分のなすべきことを考える。
一向にそれらの動きに関心を持たず、年の終わりに近づくとき、<記録>という言葉が頭によぎるのです。

すべてにわたって、過去がごわさんになることはありません。
責任はいつまでもの残るのです。
今なお、3月11日以降の、政府並びに自治体の動きが並々ならない行動をしていたこと。
そのことの記憶がまだ鮮明でない、事実を追及する気運が生まれない。
後世の人たちに説明できない、禍根をこのままに埋もれたままにしてよいのだろうかとつくづく感じます。
国のリーダー出現に変わる、時代を鮮明に記録する必要性を無意識に感じているのではないか?

テレビ番組でのドキュメンタリーの存在が危ぶまれている時代に、突然ドキュメントスタイルで記録として残す要請に追いまくられている現状ではないか?
映像の保全や発表の保証を得られることなく、庶民からの怒りを込めて映像が作られている。
こういう発言しかできないのか?