悪人

悪人

映画を観に出かけない、身近にあるテレビのみ。
テレビを見るだけで、この社会が見渡せるような気がする。
社会とのかかわりを肌に感じない、他人ごとばかり。

テレビでさんざん宣伝していた、去年の作品がテレビに登場してきた。
劇場の作品をカットした映像が流れているにしても、テーマは一点に絞られてしまう。
若者の男と女の巡りあい、愛の葛藤を描くというのだろうか。

宣伝から、裁判における審議の動きを描いているようなものと受け取った。
自分勝手な解釈で、無軌道な若者たちをサスペンスタッチで映す。
見ていてやはり疲れる、感情を移入するまでいかなかった、年なのか?
描かれる話より、俳優の演技に観客が注目してしまう。

主人公が、警察に自首するところをカメラが追うとき。
大きい道路を分けて、ヒロインを乗せたまま自動車から離れる。
自首する者がなぜ警察署の駐車場に停めないのか、それを考えているときに車の警笛が鳴った。
彼女が、主人公を<やめて>と警笛でしらせる。
それで警察署に停めない理由が理解できる。

その時、劇場用の映画は、テレビ用の映画に移った。
集中してみない、流してみる。
脇役の俳優が、前面に出ている作品のように映った。

主人公の職業から考えるのが、ブルーカラーとホワイトカラーの違いを思わせる。
本来の意義とは異なるかもしれないが、現場と企業管理者、正規労働者と派遣労働者のちがい。
労働をすべてこの切り口にしてしまうと、大卒の役割が無くなってしまうこと。
そういう考えが続いてゆく限り、企業の論理で人が振り分けられてしまうしかない。
組織が何もできないことは、2011年の出来事が示した。