元に戻れば

元に戻れば〜

たとえ旅として、学んだことを持ち帰らなければならない。
どんなこと、楽しかったことも家に持ち帰りたい。

甘いお菓子、ミルク・ハチミツ・チーズ、アルコール・たばこ・コーラなし。
生活習慣・食事を限定して、このコミュニティで過ごす。
その後もとの生活に戻るには、どうすればいいのか?
いまこの生活で行なっている、トイレシステムを持続する必要はないのか?
そういったことを当たり前に、考えてしまう。

このコミュニティに参加した者にとって、この経験の連続性がみえない。
ごく自然な疑問である、こういった会話は参加者同士で生まれなかった。
私だけのイメージかも知れないか、欧米人は自己主張の強い人が多いだろうという思い込みがあった。
しかし、このコミュニティに入り込んだ人は、ほとんど<受身的な>行動様式をもつ人が多かったように思う。

このコミュニティの主体は、誰なのか、それを考える余裕をもてたかどうか?
それが、この村での参加者が活動する範囲を決めたような気がする。
見事なくらい、人の嫌がる仕事をほとんどの人が避けていた。
趣旨から言えば、ボランティアの枠外に立つような人が参加者に大勢いる。
何のために、ボランティアとして動いているのか、自分を問わざるを得ない。

ボランティアとして動いたあと、その活動のありかたをグループとして反省する機会がなかったことからすれば、<苦>としての働きしかコミュニティは求めていないといえる。
総体的なことから言えば、ボランティア参加者のリピートは期待されていない。

地球の存在が失われていると、言われ始め、持続される環境をどうすれば取り戻せるか問われている。
しかし、人のやっていることは、一年先数年先の人間の行動さえ読めないような活動が行なわれているにすぎない。