ケイタイ とは 、

ケイタイ とは、

インドを訪ねこのコミュニティを見渡すだけで、日本でいうケイタイに離れられない文化を見てしまう。外国人がボランティアとして参加してくる限り、インターネットとは切り離されないらしい。
コミュニティは、ソーラーシステムで電気を取り入れ、インターネットのケーブルを備えていた。
若者を主体に、健康な人たちが求められていた。
それを象徴するのが、トイレシステム。
小用と便に分けて、土壌に還元する方法を選択している。
用を足すときには、誰しも〇ん〇座りをしなければならない。
日本を考えてみると和式と洋式、ほとんどが洋式である。
用を足す側からみれば、和式は敬遠されている。

この〇ん〇座りは、外国人からすれば大変なつらさであろう。
ほとんどが巨漢である、そして年老いた者にとってこれは苦しい。

ボランティアに参加した若者たちが、小さい部屋に閉じこもってPC,ケイタイを動かしているのは異様に見えた。ややもするとPCに向かって声を出し会話をしている。
彼らにとっては、旅ではなく外出に近い存在か?
新しい文化を発見した、この彼らとこういう話をしたかったのだが・・・。

インド人も同じくケイタイを持っていた。
その状態を受け入れがたく、インディアンの友だちに愚痴をいった。
人と人と face to face 会話するに、時間とお金をかけ効率が悪い。
全体で話すには、効率が悪い、discussion にはならないと、言うのを忘れたことが、
CONSIDERATOIN 考えることの必要性。
ケイタイは、感情の交流だけで終始してしまう。
そして、人間はその感情によって行動を支配されているということ。

中東の民主化といわれている、「アラブの春」からの出来事、すべてが、
このケイタイに起因している。
とするならば、もっと慎重にケイタイを取り扱うべきではないか?
何を求めて、国が社会が、世界が動いているか、
ケイタイを開いて、何を求めて人が動いているのか?