寝泊りをして我を振り返る

寝泊りをして、我を振り返る

自分の価値観を振りかざしてみても、所詮ひとりだけのこと。
遠吠えに過ぎない、それは経験から得た。
ことこまかに説明すると、批判に終わってしまう。
どう書けば、筆がすすむのか検討がつかない。

ボランティアというなを聞けば、労働を求められているように思って仕舞いがち、UKの女性とワークをやり始めたとき、よく言われたのが「怒ったような顔」、何を起こっているの?
ボランティアといっても仕事は仕事、参加者が一斉に動くので、道具や設備で取り合いが始まる。
それを和やかにやれないかと言うのが、彼女のセリフ。
本質的に、女性と男性の労働観は異なっている。
彼女だけではないが、しゃべりながら労働がこなせると考えているのがこの村の「主流」。

寝泊りしているのがほとんど海外のボランティア参加者。
当初から欧米の若者がスタッフになり、サポートをして、インディアンの参加者はそれよりも少ない。
私の究極の目的は、インディアンとの交流であり、彼らの価値観を探りたいと思っている。
すべて交流は英語のみ。理解が難しいとなると彼らは直ぐ、通訳をたててくる。
わからないものはわからない、それで突っ張るしかない。

思い返せば、年を省みずになんでもこなした。
自分の年齢を忘れる、とにかくまわりが若者だらけ。
この村だけに閉じこもることはできない、一週間に3日食事が支給されない。
その時は、この村から離れ町のレストランに食事に行く。
自転車やバイクを使う、ここでも参加者同士の競争が展開する。
私は一度載せてもらってから、道を知り歩くことに決めた。

村の中で労働をするために、若者たちはやってきた。
この豊かな自然を満喫するためにここに過ごしているのに、村を出て町に行くことが楽しみになってゆく。そしてこの村のメインハットでは、電気が流れインターネットのつながる環境をそなえている。
海外の若者たちが、一斉にPCに向かっている姿は滑稽に見えた。
若者をこの地に迎えるためには、欠かすことができない施設がこの設備のように感じた。
彼らは、インターネットのつながった状態で寝泊りできることを前提に、この地に移ったかもしれないと思うようになった。
PCとケイタイは、もう彼らにとって切り離せない道具になっている。