6月4日

6月4日

facebookのブログで知り得た、コミュの会合があると聞き参加する。
主催木下黄太さんが、今回関西で初めて開かれる。
facebook の使い方も知らない者が、オフラインで何を得られるか?


集合場所を探しながら、みつけるとそこに人が集まっている。
木下さんは関西に親しみを感じて、緊張に笑みをたたえて語りはじめる。 
福島原発の危機的状況が、どういうものをもたらすのか、切羽詰まった話である。
関東から避難して来られた方も参加、原発に関する情報が流れないことに苛立ちが率直に語られる。
なぜこのような状態が眼の前の浮かびあがるのか、外国にいるかのような孤立を感じる。

この集いに参加した理由は、東京の事情を知りたかった。
言葉が通じる環境に私たちは、生活をしている。
しかし、受け入れている環境の違いを理解するまでに至らなかった。
何も見知らぬ風土を訪ねているのではない、東京庶民の心情を推し量りたい。

6月4日、この時、東京の住民がとりえた対応のしかたは関西とどこが違うか、それを確認したい。
その思いで畳に座り、木下さんの話を聞き入る。
日本の中枢の動きから、庶民に何ができるかヒントを教えていただきました。

身近な情報を連絡し合うツール < facebook > をもちながら、孤島で生活するような立場に追い込まれるのはなぜなのか?
被災した東北地方の、日本から取り残されたような状況が、同じように関西にある。

ブログでは、のど・鼻・皮膚・お腹、下痢・身体がだるいなど症状があるとか、身の回りに起きていないか確認してくださいという、お知らせがある。
何かにすべてをゆだねるのではなく、自分で情報を集めなくてはなりません。
3・11まで、投身自殺というのは、よくあったように思います。
しかし3・11後、少なくなったのでは、ありませんか?
命を大事にするという、風潮が高まったように思います。
殺人や交通事故が少なくなり、明るい社会を望むのは難しいでしょうか?
電車が遅れても気にならない、ゆったりした生活を楽しもうとする社会。

不可思議な時代、テレビや新聞マスメディアが、充分発達している。
政府と自治体があるというのに、その言っていることが市民に信用されない。
ブログでつながる不特定多数の者が、情報を分け合うことができる。
オンラインで交流できる、その環境を備えながらネットで伝えることに憚る。
伝えたいことが、経験したことのない深刻な内容だったからかもしれない。
何しろ公的機関の発表する情報は、修正を付け加えるのであるから・・・。

この講演で、関西と異なる関東<東京>独自の、原発に対する庶民の思いをつかみたかった。
東京の雰囲気はブログで語られないし、東京在住の木下さんから感じ取るしかない。