事故さえなければあなたは原発を認めますか?

5・28 ATTAC京都
「脱成長」と「脱原発」の正義論
原発問題を社会正義からの観点から考えるー

★事故さえなければあなたは原発を認めますか?

鎌仲ひとみ監督作品「ぶんぶん通信1」映画上映から、始まりました。
公開中の「ミツバチの羽音と地球の回転」も同監督作品です。
瀬戸内海の祝島を舞台、中国電力の「上関原発建設計画」に28年間反対している地元の人たちが描かれている。

日本の経済成長のありかたを考えるには、原発が手っ取り早い。
最新刊「脱成長の道ー分かち合いの社会を創る」(コモンズ、2011年)に「<脱成長>の正義論」を執筆。
中野佳裕さんのお話を聞く。アルゼンチン・南アフリカ出身の教授から政治学を学び、山口県生まれ。
上関原発と関わり脱成長の正義論を書いた目的や、時代的背景を解説して頂きました。
中でも1990年代以降の社会正義論として、
●承認の政治→排除されているマイノリティの権利の承認。
●ディーセントな社会→制度が民衆を辱めてはならない、という社会倫理を培う。
●ケーパビリティの向上→諸個人の生活の資質と機会を拡大させる。
を教えていただきました。

駒宮博男さん。CBD市民ネット名古屋事務局コーディネーター。
生物(生命)多様性条約締結会議(COP10)、2020年までの行動計画、前文のレジュメをもらいながら、
産業構造の変化、日本と欧米の精神性を探るなど幅広いテーマからPCで説明してくださいました。
私にとってレベルが高く、ハイスピードでした。

守田敏也さん。フリーライターとして活躍。
福島原発の現況と脱原発運動について解説していただきました。

内富一さん。豊富な資料と軽快な司会を、お世話になりました。
丁寧な会の運営に、恐れ入ります。レジメを読み切りたいと思います。
すべての講義は、中身が深く一日で理解できるものではありません。
頭に残っているのは、ディーセントな社会の現れとして、組織に対する個人の批判をたとえておられたことです。
自分の組織を批判する。
個人が、どこまで自分の意見を述べられるか?


<所属>という言葉でいわれるように、名刺には必ず書かれているものです。
何者か明かすと、発言するのに妥当かどうか証明が求められる。
組織に対峙するという姿勢が、個人にできるでしょうか?
果たして日本人が、そこまで意識を高めることができるでしょうか?

東電、東大、マスコミ、文科省厚労省農水省、大きな組織は多くの人を従えていますが、この時に至って誰も声をあげません。
個人主義を超えたところから、物事を発する意味を見いだせるでしょうか?