東電だけではない〜


東電だけのはなしではない〜

ステマテックに考えたものが、崩壊してゆく。
科学だけでなく、日本人として受け継いだものが現在いま問われてきている。
じぇい・あーる、NTT、文部科学省、厚生省、国交省東京電力、そしてここに取り上げる日本赤十字社
端的な例が、日本航空である。
破たんをし経営が成りゆかない会社、それを誰が支えるというのか?
過去の業績を清算をしないで、未来への構想を進むことに異議を申し出る。
リスクを抱えている企業、それを国営あるいは民営と名前を変えては責任をあいまいにする。
破たんをしながらそれをつぶすことができない、同じことを繰り返しながら先送りをするしかない国策。
資本主義といえるものではない、責任のなすり合い・国会資本主義だ。

日航は役目を終えた企業であり、さらなる変革を求められる大企業。
その大企業は、現役でない職員のこれからの企業年金を抱える企業でしかない。
大きくては、飛び立てない企業なのに、そのリスクを取り払おうとしない。
組織を国に一つだけ取り上げるというのは、いかに大きなリスクを抱え無駄な力を注ぐものか説明をしたい。
日本赤十字社は、電力と同じように一極集中で事業を行っている。
そのことの重みを団体自体が、認識していないことを伝えたい。

献血は、その名の通りひとり一人の血がその根源であり、大量生産では生まれない。
だが、献血の場所では、まさに人間としてとり扱われていない。
一回の献血に二回注射針を打たれる、何回と打たれるがその痛みを少なくすることは考えていない。
彼らは、早く血を吸い取ることに専念し、血管の外に口を広げた針を刺す。
それは、献血時間を少なくしようとするその意図でしかない。
やさしい、献血方法ではない。
大阪駅には、二つの献血場所がある。
必ずあるのが、自動販売機(?)。
次いでどこもあるのが、コップの回収置き場、テーブル。
その時その献血場所には、回収テーブルがなかった。
そのありかを探すと販売機の後方に隠してある、テーブルにシートを載せている。

見て分かったのは、その回収ボックスを廃棄するに至らず、献血者に見えないように隠していること。
卑劣極まりない。水分補給のための飲料、ジュースの使用を抑えたもの。
通常、コスト削減というスタイルがその理由だが、この場合明らかに職員からの要請だろう。
掃除をしたくない、片づけるのに時間がかかる程度のことだろう。
結論、この手の職員、バイト・パートは献血をした経験がないのだ。

献血した者のその後の問題に対処するよう、YES/NOの証言を確認する。
そのため献血のたびにコンピューターに立たせる。
その文言は、裁判適用のため献血する側から見れば、不明瞭な質問となっている。
その修正は何年たっても取り替えない、裁判用のため日本人でさえ理解できない文言を使っている。
このことのいわれから、献血場所において受付要員が有り余る、人員を抱えている。
献血者が、こういう不満を持ちながら、職員が何も改良できない。
こういう現状が掴めていない、そのことをいまここで訴えたいわけです。

一つの組織を、いつまでも存立させても増長するだけで何もよくならない、そのことをお伝えします。
まわりを囲んでいる、その利用者が声を出さない限り、何もよくならない。