名もなく貧しく美しく

名もなく貧しく美しく  1961年 監督脚本 松山善三
高峰秀子 (片山秋子)
片山道夫 (小林桂樹

偶然なのか神の思し召しなのか、キャンディーズと高峰が重なった。
高峰秀子岸恵子桃井かおり
3人を絡めて銀幕に飾る女優達。
3者の中で一番親しいのは高峰、番組のとらえ方は解せない。
存命の方と過去の人を羅列し、物言わぬ人の経歴を語っている。
現在活躍中の女優の方も、成長過程や環境をご披露してほしかった。
人生のある時期を強調する、その功績を物語る伝え方に軽さを感じる。

キャンディーズに、思い出深いものをもっていない。
伊藤蘭田中好子の違いも知らなかった。
愛しのキャンディーズのテレビ番組には、カメラの捉えかたに訝しさを感じる。
スーちゃんの姿が万遍なく、カメラで撮られていないのに気づく。
田中好子が女優をこなしていたからこそ、キャンディーズの活動を再放映する番組が生まれたのだろう。
次の1996年「鳥帰る」山田太一の作品も、NHKが番組としてとりあげた。
当時テレビ番組として見たかもしれない、話としてついていくに抵抗がある。
集中して中身を見なかった、あらすじも掴んでいない。

ちょうどNHKは、日本の家族をテーマにして特集しており「家族愛」を考える。
女優が名を残すに、経済的に恵まれていては大作にはめぐり合わないと思う。
宝くじのようなもので、一回は当てても二度三度となると環境が左右されるのではないか?
プライバシーには影響があるが、生まれた生活環境を知りたいという欲がある。
そこで初めて、<家族>の存在が浮かび上がるのだが・・・・。

聾唖者という言葉が、まだ使われているのだろうか?
名もなく貧しく美しく」は、貧困の社会を描いたのではなく、不死鳥のように立ち上がる庶民の強さ、それに日本人の抱えている死生観・歴史観を感じさせる映画だった。
何回観てきた映画であったろうか、最後の結末には憤りのようなものを覚える。
主人公秋子が悩んだ末、子を産むがその子を家で亡くす。
その逆境を超えて、再び男の子を出産する。

生への限りないエネルギーを持ちながら、突然起こる試練に耐え忍ぶ精神をもっている。
自動車事故によって主人公秋子が亡くなり、驚きを観衆につきつける。
事故には伏線が在った、秋子が夜なべをし眼が見えないと主人に告げるシーン。
決してひるむことのない、希望を持ちながら生きるいのちの讃歌。