某国営放送

某国営放送

企業の国有化、国営企業の民営化。日本航空東京電力
会計システムの不健全。
コスト意識のない庶民感覚。

なぜこれほどまで、お金に対して貪欲な資本主義体系を支持しておきながら、コスト意識をもてないのだろう。例えれば<年金制度>、自分の年金を受け取る金額に損得を持ちながら、年金対策に注意を払わない。国の采配・やり方に批判しようとしない。

3・11から某国営放送のなりふりに注意を向けている。
国民が持っている放送に対するイメージを翻すような、雰囲気がある。
国技である大相撲を放送しなくなって、某国営放送の存在をあやうくさせているのだろうか?
原発のあおりを受けて、人が総じて働いていないように思える。
国の仕事として働くに、人員が多すぎて機動力がなくなったのだろうか?

東北太平沖大地震から、国営と民営・自治体の存在がこれほど頼りないものだと再確認したことはなかった。パソコンが故障したときの対策を考えていなかった、そのことの意味は深い。
数珠つなぎで右往左往する、テレビの番組では報じられにくい絵姿になる。
同時に首都圏の状況をまったく知らされていない、地域の住民は、働くことの意味を問われているのではないか?
ボランティアをする人・被災者でない人は、決って言う、いつもやっていることを粛々とこなしてください。
普段家計を消費しているなら、いつもどおり金をフローすることそれが支援につながると叫ばれている。働く環境をもちそなえている人は、働くことが最終的にみんなのためになると。

ちょっと待てよ、そうじゃない!
企業・会社と同じように、自治体・公営企業もシステムを破壊されれば、修復は簡単にできないことをいま証明しているのではないか?国や自治体は、自分たちの組織が寸断されるという経験がなく、寸断されたあと何をしなければいけないか、考えることさえできない<脳を抱える><駒・歯車>になってしまった。
まさに組織が統制されていないに違いない。
それを深く認識すべきとき、それを被災していない国民が訴える考えるべきだ。

午後1時、きまって衛星映画と称して放映される番組がある。
あるときアメリカの西部劇が放映されていた、その時総合テレビは国会の生中継。
こういう番組構成は始めてみた、国会中継に興味はないしかしかつて放送される優先順位は保持されていた。
地震速報もその現れである、民間放送で速報は番組内容より優先される。
さすがにCMの放映されているときの、速報はない。
国技である大相撲と解釈されている時でも、国会中継>大相撲の解釈であったと思う。
そういう場面に、出会うことはなかった。
邦画の大切さに気づきはじめてきたからこそわかる、番組構成の動きである。
3・11から某国営放送において、企業ポリシーが欠落し始めている。

夜の番組に9時から放映されていた衛星映画、それが22時22時30分という遅く変更された。終わるのは、24時以降になるのはあたりまえ。
夜の消費電力が少ないといえ、夜型の生活を<国民>に強いること番組があっていいのだろうか?
”がんばろう、日本”の旗をなびかせる、メディアの側からしておかしい動きではないか?