社会心理学を学ぶ

社会心理学を学ぶ

市の生涯学習事業として参加、がっかりした。
そのがっかりした気持で、修了証書をうけとる。
中高生の教科書を見たことがないが、それに近い授業の展開は最後まで変わらなかった。
全体の流れを大まかに伝えたうちに、キーワードを挙げて教える。
たとえば、一説を唱えている人物、異なる意見の人物を紹介する。
そのキーワードを、生徒に書かすため、板書する。

このやりかたは、かつて受験戦争に遭遇した時、手っ取り早いとして用いられた方法だった。
問題の出し方は、これしかない。
その前提で回答を覚えることから、授業が始まったあのときに時間を戻っただけ。
この瞬間、教師と生徒の価値観は、ひとつになったと<思い切る>しかない。
生徒は黙って、教えを請う。

同じ展開を繰り返し、10回の講義を飽きなく受けることとなった。
最終には<社会的排除について>の話が出てくるが、自分たちの<生徒としての>日常的な社会的排除は、論外だとして口にも出さない。

都会を歩いて気づくのが、テント暮らしをしていた場所に、金網で土地を囲んで排除すること。
他人に危害なく、心穏やかに過ごせるような、雰囲気をかもし出す土地などない。
他人と過ごすには、それなりに、ストレスを感じなければならないのだ。

そして、社会心理学の授業は、生徒達に授業の好不満を訊ねる事なく、展開された。
年老いた高齢の、人生の先輩である生徒の声を最後まで聞かなかった。

授業を組み立て、教師として望まないもの、それに反する行為は、許しはしないと心に決めているのだ。
年老いた我々には、歯がゆい授業であった。