未来小説と医療
未来小説と医療
未来小説と医療
2000年代初めの映画をみる
共に興奮させられた材料は、宗教と死だと感じた
作品が生まれて20年、私自身の死に際
電車の優先座席を眺め、前で立っているとき
密かな罵声を吐いている
これから何年生きようと思っているの、
イラついている相手は、座っている若者
高齢者が増えているとささやいて、若者たちの高齢はありえない
彼らは、簡単に踊らされる性分でしかない
納め時や、自分の死を考えられない
どの現場でも見せつけられている、自公という政治
官僚という職業人、短期労働者、背負わない組織連合
彼らは、職を退くことを知らない団体である
言うなら、自分の死を認められない
残った後の組織を存続させる、責任を感じない
戦国時代の武士の恥を知らない
そう、彼らに死がない
ちょうどこの死が、数年続いていく
死を連想できない社会だからこそ、その世界に向かっていく
想像することができない、
だからこそ歳をとっても政治屋になり
金の奴隷になれる
それを知らすため、映画が発表されたのか
80代の次は、90代しかない
いま待っているのは、台風や雨で国土が荒んでいくこと
戦闘機や軍艦、武器で何ら解決できない
それがわかるのは、もう直ぐ