自分史を二人から

生まれてからの20年だろうか、何回も付き合わされたであろう集いに加わる。
普通中高年の発言から、自分史が語られるのが一般的、今回は逆。
聞くほうが年配で、若い人が講演する側ふたり。


繰り返し語られるには、それなりの需要が存在しているのだろう。
同じ口調で、観客の無意識から出た要望に応えてしまうかもしれない。
自然の「慣れ」というものか。


主にでた言葉は、貧窮と家族。
周りの社会から取り残された、そんな環境から飛び出し、自己成長した顛末。


金がないので、食べものがなかった。
周りの人たちに、絶えず精神的圧迫を感じていたとか。
普通の人で感じない、センシティブな過ごし方をしたのだと思う。


途中、机の上にあるICコーダーで録音しないよう、講演者から要望がありました。
後になって、考えてみると
伝えて話したいのか、言いたくないのか。
個人情報として制限したいのか、何を言いたくないのか。
それが、私には理解できなかった。


告白というもので、ないと思いますが、
困窮の生活を過ごしたことなどを聞くと、聞いた私が優越感を覚えるのでしょうか、
友達になったような気がします。
別の人が、語った内容から、身近に感じなかった。
話している言葉を選んでいるような、気がしたものです。


同じ時を過ごしたのですが、
友達を選別している、自分を見つけました。