あわれな日本人を思い浮かべた
開発リーダーの主権は、誰が持っているのか
そんなことを考えてみた
もちろん、政界を法曹界を歴史を空中分解している、あの御仁ではない。
馬鹿なあの御仁ではない。
都会では大小の建設ラッシュが、本番の前なのにもうすでに稼動している。
ひとえに建設労働者が逼迫していて、早い目に人材を確保するのが、先手必勝。
早い目、早い目に手配しているだろう。
新しい建物が作られるのを見て、それが私企業であるのか、公的施設であるのか、
建設表示を見てもよく分からない。
建物が私企業であるのか、公的施設であるのかその地域の歴史に精通していなければ
よく理解できないものだ。
建設労働者が公的な施設の建設なのか、私企業なのか。
つまり誰が建物を建てようとも、人の把握を含めても人材の配置を考えなければならない。
一般的には、建築メーカー側のサイドから、決定権がある。
今の都会の建設ラッシュを見ていて、
本当に公的施設が作り返しなければいけないのか、それを疑ってしまう。
国や自治体自ら、急がなくてもよい施設を、早い目に早い目に作り返しているに違いないと。
建設の指示をしたのは、私企業でもなし経産相でもない、
誰も考えないで、建設ラッシュを煽っているだけなのだ。
手際のより建設労働者が増えているのでもなく、建設コストが低下して採算がよくなっているわけでもない。
自分たちが、やりたいように動いているわけでもない。
誰かがリーダーになって、率先して働いているわけでもない。
決断しているのは、誰でもない。