ディスレクシア

 サルのはなし




 駅から降り、道へ出られない。

 大きな道路でふさがれ、道を渡れない。

 人が歩くための、「信号でない」と言えば、

 いいのでしょうか、駅の周りをぐるぐる、

 不便な道を歩かされてしまいます。








 これを開発された街というのでしょうか、

 住み慣れた人にとって、数珠つなぎになり

 順序立てて歩けるでしょう。

 しかし、当てのない道を歩くには、

 不便極まりない、開発された街です。

 流動化した人を、受け入れようとしないまち。







 この閉鎖されたような歩道を抱えた地域は、

 長年知ってはいるのですが、信号を渡るたびに

 思い起こし、特別な歩道を歩かされるのです。

 経験者でさえこうなのですから、地方の人や

 外国の方は苦労なさっておられると思います。






 サルのお話と聞いていましたが、ディスレクシア

 トム・クルーズキアヌ・リーブススティーブン・スピルバーグ

 阪田三吉浪花千栄子と個人名が出てきました。

 個人情報となると慎重に扱わなければいけません、

 しかし、所詮個人的なことです。

 ” な ”の筆順と ” 三吉 ”の筆順へ移り、

 国語教育と日本語教育の違いへと動きました。







 講演を伺っている中、お話を笑いながら聞いていました。

 講演する側は、笑わすつもりはないと思いますが、

 自分の過去を思い出し、笑い続けました。

 自閉症で、字が読めない、字が書けないという環境を

 想像すると、そこからいかに飛び出すかと、

 深刻な話だとは存じますが、育った家族・世代によって

 ”笑いの領域 ”だと思います。






 あなたは橋の下で見つけてきた子

 幼いとき、そう親に言われてきた世代と、親から虐待され

 死に追いやられている時代が交差している現代。

 「信頼」という間柄が、年数で築かれない社会に

 なってしまいました。

 阪田三吉浪花千栄子を検索してみますと、

 食べ物、病気、仕事の面で障がいを抱えていたと思います。

 その壁を取り除いてやることは、誰もできなかったと

 推測します。この社会でもって見ても、何ら変わることなく

 支援する体制になっていないと思います。







 ”な ”の筆順とは、右の`を

 どの順番で書くかという問いかけでした。

 日本人なら、さんざん悩まされてきた歴史です。









 どうかすると教育や書籍、権威の力によって克服できる

 ように考えてしまいますが、そうは思えません。

 いまの教育制度と、雇用形態を眺めてみれば、

 国の不作為をじかに感じることができるからです。

 何もしないことが、この国の状態を長引かせることだと、

 行政や政府が信じ込んでいるとしか。







 
 ことは、日本語が読めればわかる・・・・

 誰でも理解できる、そういった話ではありません。

 薬を飲めば、病気を防げる・・・・

 そう考えている人が、ほとんどだと思います。









 たまたま新大阪駅を降り立ち、外に出ようとすると

 時間をかけても出ることができず、案内係に尋ねました。

 これが日本です、恥の文化。

 日本語のわかる者が、安全な外へ出れない。

 世界標準でない、ガラパコス文化はまだ朽ち果てていません。

 旅の者が安全に過ごせない、危険な国なのです。


 しだれ桜   1999年   (株)新潮社


 著者 瀬戸内寂聴

 語り 平野啓子



 京都嵯峨にある”しだれ桜”に昌子は特別の思いがあった。

 8年前、妻子ある写真家に誘われて見た”しだれ桜”。その

 神秘に昌子は心を奪われた。やがて写真家の訃報を聞いた昌

 子は、また嵯峨野に赴く。そこで出会ったのは男の妻だった

 ・・・。







 赤い夕日     2004年   (株)新潮社

 
 著者 藤沢周平

 朗読 奈良岡朋子



 夫に言えない秘密を抱いたまま嫁いだ、おもん。孤児で

 通していたが、実は育ての親は、やくざ者の斧次郎で、

 その情婦であった過去を持つ。





















 場所を隔て



 区域外であるが、セミナーの申し込みをした。

 担当区域外ということで、お断りも覚悟していた。

 いわゆる管轄外。

 




 ある意味、広い心持で接してもらった。

 いまの日本の社会、国と自治体が

 互いの立場をせめぎあっている。






 国と自治体。

 車の車輪。

 両輪ではあるが、一方が軋んでくると、

 他方も軋んでくる。

 交付金補助金に、助成金

 このような流れは、連綿と続き果てない、

 またいつ途絶えるかもしれない。






 社会福祉協議会

 お互い助け合いの精神でやっていると思うが、

 このまま続いていくような気がしない。

 国と自治体、それ自体があいまいそのもの。







 マイノート。

 冷静になって、自分に帰られる時がやってくる。

 自分の好きな食べ物など、自分が書かなければ

 いけないことにぶつかる。

 魚という表記が出てくる、どんな料理か、どんな魚の

 種類か、具体的な違いそれがわからない。

 




 
 食べ物の話になると、参加者同士の中でにぎやかになる。

 名前を挙げられない、貧相な食べ物が寂しい。

 まだまだあります、これからです。