腰の低さ

樋口健二さん



講演を170回以上されているとか。

お歳も80歳ちかく、腰の低いのに驚かされました。

気になった言葉で、”写真取材”。

真実を”一枚に”認めることだが、取材する側の意思が伴う

かどうか、という考えが浮かんだ。一枚の写真でその意思が

伝わる確信がなければ、新たな次の写真が生み出されない。






一枚の写真。

写された青年は樋口さんだと、私は思い込んでいた。

当たりとはずれ、写真は当たるときもあれば当たらないこと

もある。





裏返してみれば、樋口さんの相手となる国や東電、原子力マフィア

たちは底知れぬ強敵で、話にもならない相手であることを証明して

いることかも。









聴衆にむかって深々と頭を下げ、お礼をおっしゃいました。

これを何度も見て、私は腰の低さとみてとりました。

樋口さんの執念が、最後には実ったというとり方ができます。

長年の仕事が皆さんに認められるというのは、大変なご苦労が

あったことでしょう。







一枚の写真に何が物語っているか、場所と時間をおいては理解

できなくなることもあります。生活そのものが変化してきてい

るのです。価値観そのものが・・・。





写真を撮るという行為は、いつどこでも撮れるというのでは

ないと思います。周囲の人たちに違和感を覚えさせず、皆さん

に協力してもらえるよう配慮しなければ、いけないでしょう。

突出しては捉えることができない。






中米のトリニダード・トバコで、演奏家が遺体で発見されました。

被害者が女性だったのです、何年も訪問したのちの結果がこれです。

それにつけても、この娘の母親は、何を伝えたのかと考えさせられます。

個人的な非難をしようとは思いません、自分の立場をどう認識してきた

のかそれを問いたいのです。





戦争に出ていく、そういう状況で女性の立場というものを考えてほしい

のです。戦地へ出かけないと思ってもらっては困る、国民全員が戦闘へ

赴くと思います。






女と男の違いを認識していない、女性たち。

老いれば何事もできない、体力がなくなる。そのときは、女も男もない

存在しないのだと考えます。そのあとの選挙権はどうなるかだけです。

自分のひ弱さを理解できない女性は、頭が悪い人としか言えません。

人を育てる能力を備えていないのです。







『腰の低い人』は、かたちだけでなく、生命力の強い、頑強な意志を

もっておられるということではないでしょうか。あらゆる環境に置か

れても自分がどうあればいいのか、考える前体に備わっている〜

自己保持本能のようなものではないか。

それを持っていたからこそ、80年近く人生を引き継ぐことができた。

女性という性が愚かなものであると、目につく時代となった。

戦闘場面。








歴代と違って、子を持つということは偉大な事業だとして、

日本の国が証明している時代だからこそ、女性の愚かさを

目の前で見せつけられるのだ。

人口減少社会、日本国。

子を持った時のことを、頭に描かない女性が多くなったということか。