チョコリエッタ

チョコリエッタ    2014年    日本

 監督 風間詩織

 出演 森川葵

    菅田将暉


 原作 大島真寿美






 「犬になりたい」進路調査書にそう書いて担任から呼び出しを

 くらった知世子。大人になるって何かを諦めること―――?

 幼稚園の夏休み、家族旅行の道中で事故に遭って母を亡くした

 知世子は、それ以後愛犬のジュリエッタを心の支えにしていた。

 けれどそのジュリエッタも亡くしてしまい、からっぽの心に苛

 立ちだけがつのる16歳の夏。














 http://www.suzufukudo.com/chokolietta/trailer.html















 
 急に映画を観たくなった、きっかけはその映画の”長さ”。

 人を押しのけ、他人を危険に遭わせても、

 エスカレーターを歩き回る大人たち。

 どこに、この映画を観る時間を持っているのか。








 原作を読まなければ、その意図はわからないのか。

 言葉のあちこちに、思いを吹き込ませている。

 『(わたしを)殺していいよ』

  許諾のセリフである。









 『殺したいことはあった』

 人に殺しの経験を尋ねる、意味があろうか。

 あるとすれば、問いかけた理由は、その人が犯罪性を

 抱えた性格かどうか?

 そんなことは、片隅の予見でしかない。








 人を殺して、なぜいけないの。

 それを単なる社会の疑問として、片づけていいのだろうか。










 『殺していいよ』

 言葉遊びの連続でしかない。

 主題なのは、「殺したい」という意志。

 あるいは、「死にたい」ということではないのか。

 それが「ころしていいよ」に転化した、話す相手と

 何らかのかかわりを持ちたいという表れでしかない。

 「愛」に近寄った、掛け声の一つ。









 「ころしていいよ」には、別の自己表現と関わっている。

 自分は生きていたくない、死にたいという願望を持っているかどうか。

 生きたいという願望が強くないため、「いいよ」に言葉が重なった。

 ならば「自殺願望に近づいて」、死にたいかどうかが重要なポイント

 になるはずなのに、それを自分で明かさない。

 死にたいのか、なぜ自殺をしないのか。










 不思議と風間監督の演技指導が、女性を冷たく扱っている

 かのように感じた。

 なかに描かれるものを想像して、映画を選ばなかった。

 予告編は見なかった、そこにヒントがあるかも。

 新しい映画の見つけ方を発見した思いがある。