究極の旅

究極の旅





  

  久しぶりの旅。

  はじめての旅といっていいかもしれない。

  目的が定かでない、行き先がどこかわからない。

  共にするメンバーの、気心が知れない。





  
  つぎの旅の話を出かける前から、知らない人に話しかけていた。

  旅のメンバーは、友達でもなく、顔の知った間柄でもなかった。

  そのことを、周りの人に話すと、「大丈夫か」と心配をされた。

  何から何まで、想像の出来なかった旅のスタイルだった。





 
  旅その始まりは、不安そのものから進んだ。

  脊柱管狭窄症の手術をしてもらって、その4か月後出かけることになる。

  からだの調子を、メンバーの人が快く受け入れてくれて、庭に出ることができる。

  外へ出歩く日常性が、自らのからだを強くする。







  旅の楽しみは、変わった。

  家族そろってでもなければ、見知らぬ土地へでもない。

  みんな一緒に楽しくでもなければ、ひとりでこそこそ町歩きもよい。

  どんなやり方でも、友達は受け入れてくれる。

  それが、なんとなし分かった。






  
  10日間インドを旅するといって、周りの人に知らせることになった。

  インド、旅という言葉から、人ぞれの旅に対する思いが出てきた。

  自分の人生にはなかったもの、そこに旅をみて、声を出してくれた。

  外国へ旅をしたことがない、インドって、どこっ。

  





  思い出せば、勤めをしながら、旅に出かけていた。

  働くと旅に出ることは、どちらも大切なこと、

  欠かすことのできないことだった。

  それは変わらない。







  いまここで、家族以外の人と連れ立って、旅をすることの楽しみに加わろうとしている。

  過去を連想するのなら、かつてのツアーと言われたもの。

  お仕着せではなく、自分がそれを望んでいるか、その気持ちを確かめる必要がある。

  それと同時に、歩けるかどうか、確かめてから、旅に出かける準備をしなければ。








  
  ふらっと、見知らぬ土地に、はまり込む旅。

  それが、なんとなくではあるが、できるかもしれない。

  私にとって、はじめての旅。

  日本人であることが、心の大きな支え。