この社会が、面白すぎる

この社会が、面白すぎる




 
 最近できたばかりの、駅にある本屋へ向かった。

 ところがその店がない、念を押して周りを視ると、

 他の場所に変わったという、プラスチックに書かれた広告が。







 別の改札口にある、という知らせだが、それは間違い。

 改札口ではなく、プラットフォームを換えるための陸橋のようなもの。

 完成まじかに告知、いつも陸橋に入るとスピーカで広報されていた。

 電車を乗り換えるための陸橋であって、トイレ施設はない。

 その告知をし、乗客を上へ誘導していた。







 設備の設計において、トイレを前提にしない。

 その愚かな選択は、時代を後世に引きずる考えだ。

 この設計は線路上のモノであり、水の使用や排水に、

 限界が生じているのだろう。

 何と愚かな選択をしたのか。

 トイレのない、マンション。

 さらに超高層マンションを連想した、つながっていなければ

 ならない上水下水が、切断されている環境とは。







 
 本屋が移転した周りに、喫茶店など新しい店ができていた。

 見た目では、店の中にトイレがあると思って間違いがない。

 たとえなかったとしても、「救急のトイレ」が備え付けてあって不思議ではない。

 いまのインドでさえ、公衆トイレを作り、あるところでは無料で使われている。

 トイレのない店など、まるで想像できない。






 
 話しを元に戻す。

 以前あった本屋は、トイレがある改札口の隣にあった。

 それをトイレのないプラットフォーム陸橋へ転居する。

 人通りの多い場所から、人通りの少ない陸橋(場所)へと変わる。

 その意味は、まったく仕事をしなくて良いというメッセージしかない。

 






  
 予想通り、本を買う人が登場してこない。

 売り上げは、どんどん下がり続けるだろう。

 なぜこんなことが起きているのだろうか。

 消費者・客のことを考える、人がいないということ。

 事業の採算を誰も考えなくてよい、ということ。

 売り上げを、成績を挙げなくても、給与(手取り)は変わらないということ。

 さらに、本屋は倒産することが少ないということだろうか。

 売れなかった本は、出版屋に還せばいいとか。









 この社会は、まさに子どもの世界だ。

 あれは、間違いだったんだよ。

 あれは、うそ。

 そんなことないだろう、大人なんだから。

 要するに、お金の使い方を知らない。

 効率のいいやり方を、考えている者がいない。

 総じて無責任が、はびこっている社会だと言っていい。

 あしたや未来に、望みや期待をもっている人がいない。

 最低の社会ではないか。