趣味

趣味

危険と隣り合わせの冒険。話しの合間で、もう一度やってみたいと思ったのが、スキューバーダイビング。それが、とうとう100メートル歩くさえ大変な状態。そもそも1人でやるのが“スキューバーダイビング”ではなく、連れだって潜るもの。

泳げなくたって大丈夫、水中では足の蹴りで前に進む。泳げなければ、歩けばよい何とかなるだろう。車いすのダイビングで一緒に潜った経験からすれば、何とかなるのでは。

ボートダイビングで気になるのは、潜りが終わってボートに上がるとき、背筋の力が必要。背中にボンベや装備を抱えているのだから、筋力を養わなくてはできそうにない。よくここまで体力が落ちたもの。

ヨット・ボート遊び。テニス、遊びを思い出すたびに体を鍛えなければ、何もできないことを考える。スポーツをすることは、経済的に負担がかかるという現実がある。

生活の糧のように計画を練っている。興味ある社会への参加、催しがあれば積極的に加わるようにしている。数年前、国や市はセミナーや講演をよく開催した。先を急ぐように、市民が団体組織を運営する、公民館で会合が開かれたものである。

文化活動は、住民同士が信頼し合い、気持ちよく過ごすには欠かせないコミュニケーションでもあった。新旧住民が和やかに生活をするため、地域の場づくりに活用された時代であった。

こういった自主的な催しを開く、会合がほとんど開かれなくなった。その端的なあらわれは、講習や会合への参加料が徴収されるようになったことが大きい。めっきり減った、そういう講演やセミナーに通うのが、日ごろの日課になってしまった。新しいことの発見、新鮮な人の出会い、そういうものを期待しながら、自分が出かけようとしている先には、ある制限をしたうえでの挑戦でしかない。

高い授業料では、ついていけない。根気のいる活動は、継続してやっていけない。生活圏や動ける範囲より広いとこへ、の移動は避ける。長い間思い続けている、そう思うことでやっと宿泊もいとわない、やろうとする気持ちがでてくる。

講演やセミナーに参加して、いつまでも頭に残っているわけではない。次から次へ繰り返すことで、日々記憶力が衰えてきている。一度見た映画さえ、記憶がなくなってくる。

講演など記憶に残っていることを、ブログに残しておこうという気持ちになった。会議であれば、会議録。日記であれば、備忘録。そのとき思ったこと感じたことは、その時書いておかないと頭にのこらない。同じ映画を何度となく、鑑賞することがあるのだから残しておこう。