男社会から女社会へ

男社会から女社会へ
〜討論をしない、喧嘩をよしとしない時代

三年間は総選挙のない、時を迎えることになった。
これを喜ぶ人がいる。言い争いは、自分の考えを不動のものにするため、違う意見と交わさなければならないが避けて通る。

クラスや会社で、真剣に討議をしたことがあるだろうか。家族内で身体を張って喧嘩をしたことがあったか。兄弟げんかをした方は。血を出すような喧嘩は避けて、自分を縛っていなかったか。

姉妹喧嘩をしない要因として、母親の存在が大きい。喧嘩するまで至らず、事前に制止される。身体で怒りを表す前に、両方が意見を交えてきたであろうか否かが焦点となる。討論は、長い時間を経ることから密が増すもの。

喧嘩の仕方で注意された。プロの喧嘩は、急所を心得ている、しかし素人は何も考えない、だから死に至る事件が起きやすいと。身体を傷つけても喧嘩をやる、生を賭けて戦うべきか、胸に手を当てて考える必要がある。

身体を使った喧嘩を男女どちらが多く経験してきたか、考えるまでもない。DVの被害者は、女性たちである。ここにきて現代社会で、暴力や犯罪に女性が深く関わるようになった。男女同権というより、女性の「意識」が社会に浸透してきた表れではないか。

眼に見える筋力のことでなく、陰に隠れて制圧しようとする流れ。小さい子供を抱えた母親は、まるで長老のように指図。「喧嘩する」のは好ましくない、回り道をして避けることを人生の教訓とする。

家庭内だけの「家訓」として受け継がれていくのなら、他人がどうこう言うべきことではないが、社会事件になっては困る。家庭内で指図をする、内弁慶では終わらず新たな事件を生み出す。本来、喧嘩は一対一でした、殺人も一対一であるべきです。いつの間にか、加害・被害者双方が複数になってしまいました。

参議院選挙の公示後、福島で時の首相が国民に選挙演説をする。A3の紙に「総理大臣、原発推進原発廃炉?」を抱えているだけで、警察や自民党関係者から紙を取り上げられた。そのニュースが流れたとき30歳の女性と聞いた、後に二人の子どもを持って働いている母親であるを知る。

女性を批判するつもりはない。働くというのは、どういうことか、社会を理解されているのか、考えさせられた。このような女性に育てられれば、人と言い争いをすることを避け、討論することはありえない。

ディベートさえできない、融和的な人格が大事にされてしまう。
団体組織や企業の会議も、他者との融和を心得た話題に終始していることだろう。
広島LINE事件発生時。