いまここに居る者として、書き残しておきたいこと

いまここに居る者として、書き残しておきたいこと

情報を伝える媒体として企業の開発にそそのかされ、消費者は次から次へと商品を買いあさりました。磁気テープ・カセット・DVD・CD、ITでは、等しく庶民に情報を流すことができたでしょうか。

2011年、日本のマスメディアのあり方が、いつまで経ってもくすぶっています。伝える媒体が開発されても、情報の発信元が世界の流れと逆行して偏向社会を支えています。世界の情報を知るには、日本語ではなく外国語から得るのが早いのです。日本のマスメディアで、報じられないケースが多くなりました。

これを克服するには、政府が奨励している英語教育を徹底し、欧米のメディアから有効な情報を得ることで、よりグローバル化させることができます。話すことより、英語で物事を考える方が、より望ましいでしょう。
2011年3月11日、時の首相が現場に駆けつける。周囲の者にバカ呼ばわりをして、今後予想される事態を専門家に問い質します。私は、この時点で日本人は「周りを信用ならない人で、固められている特定集団」と連想しました。

仕事をする人を振り分けていたのは、かつてホワイトカラーとブルーカラーがあります。ブルーからホワイトに、職域を換える時期があった。移動を繰り返すことで、お互い競い合いそれが組織の発展につなげていた。

その違いは、長年の労働による知恵や技術をシステム化し、それを記録、次代に伝える技術として文章化できるか否か、それによってリーダーが決まります。技術を持っているだけでなく、表現し伝えることが必須です。

それが原子力ムラでは、官僚文化によって支配され、現場が著しく他分野に分散化し、異常な企業群に成長してしまったのです。現場に従事している企業は、末端の、末端の企業であり、長期的な立案に関与できなくなった。

政治的には派遣労働というスタイルが定着し、自治体が抱える現場労働はほとんど民営化され、技術が伝承されなくなったと想像されます。

そして原子力ムラが、生まれて初めての経験を四の福島第一原発ですることになりました。地震で設備が破壊、冷温装置が機能しない。一日に何度もその予行練習をしていたはずです。しかし人生でたった一回の危険を回避することは、多くの社員がいても果たせませんでした。

100万年後、放射性廃棄物の埋めた場所を、どう知らせるか。それがとやかく、問題化されているときがありました。100万年の出来事ではありません、ここ数年で労働界が後退している状況を心に留めておく必要があります。

この時から、労働文化という面で、限りなく後退している状況を、認めざるを得ないだろう。将来、日本語を用いることは、世界標準からみて批判されるだろう。