私のつえ

私のつえ
石畳の階段を下りている時、ひっくり返って転んだ。
だいじょうぶですか、声をかけられ、右手の軽い傷ですんだ。
脳震盪で倒れたり、死んだりしても不思議でない。

その時つえを手放さなかったにも、関わらず滑ってしまった。
急いでいたわけでもない、乾いた砂がそうさせた。
つえを持っていれば、けがをしない、そのような思いはもっていない。

つえの効用は、電車で座席の前に立っている時、「どうぞ」といわれること。
目くばせをもらって、席を譲られたときはくすぐったい気持ちにさせられる。
私と同年配とお見受けする、男性から好意を頂いた。

「優先座席」にこだわることは、やめてしまった。ケイタイをみては優先座席に座る、
若者(14〜45歳あたり)の気持ちがわからない。自分が長生きできると思うなら、どうぞ座席を陣取りなさいという、心境になった。

歩道や道路。歩道橋や歩道で自転車の行き来しない場所を、見つけること自体が困難になった。どこでもかしこでも自転車に乗り、わが世の春かのような顔をして走る。
弱い者を排除する論理が、国から庶民たちに連鎖し、何とも思わなくなる世界になってしまった。

その世界である歩道で歩くには、先のとがった登山用のつえを頼りに歩くしかない。
点字用ブロックを伝って歩いてはみるが、国のやっている正義を垣間見ることができる。左右両方に設置され、型通りのきまりがなされていない。車寄りの道路側にブロックが設けられている。

自転車がどのレーンを選ぶか考えてみれば、一目瞭然。国民すべてをガチンコさせることが国の役割だ、生業と心得ているとしか思えない。一億総国民がつえを使うような時代になれば、点字ブロックも「廃炉」(ハイロ)しなければならない仕事を、請けるしかない。

見てごらんなさい。交差する道路上に備えられた陸橋を、想像してみなさい。
草が生え整備もしていない陸橋、誰が使うというのですか。道路を走る車に飛びこもうとする人を、誘い込む飛び込み台でしかありません。
陸橋を片付ける費用は、誰が支払うのですか。

自転車が私の周りを走らないことを祈る。
あなたは自転車から転げ落ち、頭を骨折するかもしれない。
そういう危険な歩道を、あなたは走っているのですよ。
この乱世を放置しているのは、現代の社会そのものです。
国の不作為は、あふれかえっています。
〇〇が起こらないのが、不思議な日本です。