公共

公共


公共という言葉が、あいまいになっているこの時代。
だからこそTPPという議題が、社会に入り込んでも庶民は無関心。
国や自治体の果たさなければならない務めを、内部や外部者が考える対象と
心得ていない、その事情から政治局面にTPPが持ち込まれてきた。

個人と組織、国と自治体、私企業とすべては棲み分けがされていた。
その国や自治体という存在を脅かし、根こそぎ否定するモノとして多国籍企業が蔓延ろうとしている。
多国籍企業は、どの国にも属さずタックスフリーな存在。
国より上位に組することになる、いわば戦争を展開できる主導をとれるのではないか。

公共があいまいになっている時代というのは、極言すれば公務員・私事という区分けが
本人や他人にとっても明確に意識化されていない、社会なのだろう。
公務員という存在など、あってもなくてもいい。
時たまあるかもしれない、公園の水洗付トイレでしかない。

公園にある、備え付けのベンチ。
いつからできたのか、棲み分けのできたベンチ。
3人用の椅子として、日本にしか存在していない、仕切りのあるベンチ。
一人区。
区分けを設けたベンチ、ひとつのベンチに二つの区分けがある。
人が見ると、肘掛けに見えるがあまりに低すぎる。
まさに公の日本のベンチ、個人用にこしらえた椅子ではない。

公共とは、人を強いるものである、そうだろうか。
人が何かをするのに、名刺を差し出して自己紹介しなければ話しのできない。
その考えられないような公の世界で行動をしているのが、多国籍企業


身近なことから、ある公園で私企業が営業をしている。
その営業している場所に、どうしても納得できない空間がある。
私企業が利用できる空間を、自分のいいように取り込んでいるとしか見えない。
土地所有は私企業ではない、公園である。
あいまいの極み。



大阪市といえば、トイレがあっても使わない公園になったり、公園に売店があっても
営業をしていない、不可解な施設を抱えた自治体。
それはとりもなおさず、国民の税金が生かされず湯水のごとく使われている証拠。


花壇に敷かれたテーブルと椅子に座った客は、営業接待を受けた。
他の住民は、傍の(花壇の)芝生の上で、ワインのグラスに口を傾けた。
果たしてどちらが、好ましい公園の利用客なのだろうか?


共に後片付けのできない大人であれば、大阪市の公共施設であるからし
大阪市の公務員が清掃をする。
公園という公の場所に、私企業を抱えることで更なるサービスを大阪市が提供しなければならない。
ごく当たり前の私事業を、公務としてサポートしていることになる。