HINOKIO

HINOKIO 2005年

監督・原案 秋山貴彦
出演 多部未華子
   本郷奏多
   中村雅俊
   堀北真希
   原沙知絵

事故で母親を亡くして、自室から出ようとしないサトルに、
科学者の父は、自ら開発したロボットを与える。
サトルの代わりにロボットは、遠隔操作で小学校へ通うことに。
HINOKIOとあだ名がつけられ、ガキ大将のジュンが近づいてくる。

http://www.youtube.com/watch?v=naQB0aSPLk0


実写にするか、アニメ作品にすべきか。
明確に答えの出せる、格好の作品だと思う。
俳優陣には申し訳ないが、実写にすべきではなかった。


現実と仮想の世界、ゲーム化の波を取り上げたもの。
この映画を視聴する対象者を、少年少女にすべきか、
大人たちなのか、親子連れなのか論議すべき問題が含まれている。
バーチャルなゲームに翻弄される小学生を描いてみせる、
それでいてケイタイの存在がクローズアップされていない数年前のはなし。

魚釣りに誘うなど、リアルな遊びにHINOKIOを引きずろうとジュン。
ゲームの世界に入り込むのはよくない、毛嫌いしているようすが見て取れる。
バーチャルなものといえば、このHIMOKIOの存在自体も空想のモノ。

少年少女が見るに、相応しい話ではないと感じた。
少なくとも実写で描くべきではなかった。
その1つとして、ジュンというガキ大将の役に、多部未華子を起用した。

窓際に座ったジュンを見た時から、男か女か想像させる役柄。
そのジュンに絡んで、あこがれの女の子や用心棒を従えた「女の級長」が登場する。
ジュンにとって、恋の相手となる対象者は、バイセクシャルにも見えてしまう。

ニコニコ動画では、コメントがなかったようです。
4本の煙突が、一本に見える場所。
映画で採用された、「煙突の見える場所」。
ニコニコの視聴者の年代には、知られていなかったようです。

女性か男性か。
高くそびえる煙突に昇るジュン、それを遮ろうとする警備員。
具体化された出来事に、慎重に配慮すべきかもしれない。
煙突のてっぺんにのぼり、笛を吹き果てはそこから落ちる。
ありえないモノを表現するのであれば、アニメが望ましいと思った。

遠隔操作でHINOKIOをあやつり、代理に学校へ行くという題材。
なぜ車いすや、PCの備えた器具を使って登校しないのか、不思議だった。
社会の流れは、どんな障碍を抱えた人も学べるというのが基本。

手も操れ、話ができ声も聞こえ、モノが書けるのに、なぜロボットを使うのか。
引きこもりなど、外に出られないことから、遠隔操作に繋がることがわからない。
教育面からの姿勢や、学びの取り込み方が重視されていない。

中学生だろうか、サトルが校門をくぐった時、
手を差し伸べて握手を求めてきた、セーラー服の少女。
その少女が、ジュンだった。

最後の最後に、セーラー服を着せて握手をさせる。
ここになんの意味があるのか、まったくわからない。
多部未華子の起用を、再確認させるための演技でしかない。

この晴れがましい、最後のラストシーンは、とてもアニメでは表現できないだろう。
男と女の違い、とてもアニメや見た目だけでは何もわからない。