八日目の蝉
八日目の蝉 2011年 松竹
原作 角田光代
不実な男を愛し、子供を身ごもった女、野々宮希和子。
「赤ちゃんを一目見たい、見たらけじめがつけられる」
留守宅に忍び込み、泣いている赤ん坊を見た瞬間、希和子は思わず
子どもを抱えて家を飛び出していた。
http://www.youtube.com/watch?v=H0nPFQ54QvM
うわさには聞いていましたが、落涙する。
漫画の落ちのように、両親と同じ人生の歩みをすすむ。
登場人物は女性たち、それを補うのが妻子持ちの男性たち。
原作の視点がしっかりしているせいか、実際の出来事かのような展開。
犯罪を犯した者など関心ないかのように、ピリオードを迎える。
何ができるかではなく、できることをやる。
子を産むことの大切さをしみじみと感じさせられる。
4年間逃亡生活を過ごした幼女、小豆島の生活を忘れることができず、
大人になっても思い出すのを避けて、人に言えない「故郷」として胸に温めていた。
同じく誘拐した女性も、写真館で撮った写真を忘れなかった。
不倫という、心情的に受け入れにくい立場にいながら、
生きるため、敬わなければならない。
ちょうどこの映画を見る前に、福島から去って母子家庭が貧困に喘いでいるという
新聞を読むだけで、落涙するくらいだから、この映像も同じだった。
高齢者の独り暮らし、母子家庭の増加は、311から標準的な家庭になる。
土地の奴隷になるということではないが、故郷から離れられない。
しがみついて離れられない人々。
産めるの、産めないの?
身の回りのひとから、視線を浴びストレスを感じながら生きてゆく。
311、そういう現代に近い原風景を、この映画の中身から共通性を感じた。